1998
星大工
着陸したシャトルの窓から、薄黄色の空が見えた。窓といっても、申し訳程度のモニターが壁にくっついているだけだ。五十センチの隔壁の向こうは、百気圧五百度の世界が広がる。金星のテラフォーミングは、第二段階に入った。よく定年までに間に合ってくれたものだ。VTP地殻改良事業に携わって四十年、最後にもう一度現場を見たくて、私はこの星に降り立った。
「ニシザキさん、着きましたよ」
地下に収容された社用のシャトルから、作業基地へ続く長い廊下を歩いて、私はクローゼットに案内された。
クローゼット、高圧下作業用の宇宙服に着替える場所。そこは、汗と消毒液と鉄の焼けたような臭いで溢れている。規則正しく並んだハンガーユニットを眺めながら、私はしばらくこの空気に浸っていた。
「・・・ん?」
扉が閉まったような大きな振動の後、部屋の奥から低い唸りが聞こえ、段階を踏んでそれは大きく近づいてきた。やがて、ロックが外れる音がして、円形の扉が開いた。
大きなヘッドギアを抱えた作業員が数人、先頭にいた初老の作業員は、私を認めて歩みを止めた。
「・・・ニシさんかい?」
「ああ、トクさん」
黒く灼けた顔をしわくしゃにして、トクさんはスーツのまま腕を延ばした。
「珍しいねえ、あんたがこんなとこへ来るなんてのぁ」
「トクさん、元気そうだねえ」
薄汚れたグローブ越しに、トクさんの調子が伝わってきた。
「ほら、おめえらも挨拶しねえか、本社のニシザキさんだ」
後ろで所在なさそうにしていた三人の若い作業員は、それぞれに頭を下げてきた。
「で、金星くんだりまでどうしたんだい?」
「いやね、最後にもう一度、現場を見ておきたくてね」
「最後って、定年かい?。へえ、ニシさんももうそんな歳になったんだねえ」
「あっという間だよ。トクさんだって、もうじきじゃないか」
トクさんは、現場を見たいという私の話に、二つ返事で乗ってくれた。
『おめえら、先上がってていいぞ』
ヘッドギアをすっぽり被ったトクさんがそう言うと、ハンガーの中から威勢のいい返事が聞こえた。
『いいかい、ニシさん』
宇宙服に着替えた私は、トクさんの後に続いた。円形の扉の奥は、長いエアロックが延々と続いて、コンベアが扉を通過するごとに、身体が締め付けられるような感じがした。
最後の扉を抜けると、そこには紛れもない異世界が広がっていた。
薄赤く染まった空は、ピントがずれたように曖昧で、太陽の居場所さえわからない。作業現場へと続く舗装された道以外は、大小の岩がごろごろと転がっている。その道の向こうに、微かに櫓が見えた。
『行ってみるかい?』
ローガン・インダストリィに入社して以来、ずっと金星と関わってきたが、昔と何一つ変わらない風景がそこにあった。私は、遠くに霞む櫓を見ながら、これまでの人生を振り返っていた。果たして、計画は順調に進んでいるのだろうか。私は何かの役にたったのだろうか。不安が胸をよぎっていた。
「・・・本当に、ここで人が暮らせるようになるんだろうか・・・」
私は、確かめたかった。私や他の人々が、ちゃんと世界の歴史に刻まれているのかどうかを。
『そうさなあ、先刻の若い連中の曾孫の曾孫ぐらいだな、ここに住めるのは』
トクさんが、ぼやけた空を見上げて言った。計画が開始されておよそ八十年。調査期間を含めると優に百年を超える。人類の未来のために、数百万の人々が星を拓いている。誰も見ることのできない、遥かな未来のために。
頭上に広がる青い空と白い雲を思い浮かべながら、私は踵を返した。
『もう、いいのかい?』
ただ一つわかったことは、私がもうここに来ることはないということだった。何も変わっていなくても、確実に時は流れている。
遠い未来、ここで暮らし始めた人々が我々のことを知らなくても、この星が全てを伝えてくれるだろう。二つ目の地球が、人類の手で創り上げられたことを。
『あと百年くらい生きられねえもんかねえ』
それは勘弁してもらいたいな、と、私は思った。
SFマガジン98年7月号リーダーズストーリィ入選
「現代の小説1999」掲載
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