1998

ガソリンスタンド

 他にもいろいろあったが、結局家から一番近いところに落ち着いた。僕のバイト先の話だ。時給もそこそこだし、何より面接してくれた店長の印象がよかった。たぶん親父より歳は取っているはずだが、咥え煙草で黙々と車の整備をしている姿は粋なほど決まっている。
 中学でライトカーの免許を取ったので、僕自身機械にも少しは明るい。今はまだ言われた仕事をこなすだけで精一杯だが、そのうち役に立つことがあるだろう。
 入ってしばらくは雑用みたいな仕事をしていたが、遂に僕も表に立つときがきた。
「い、いらっしゃいませ」
 最初のお客さんがやってきた。いきなり外車だ。確かフォードEUのピットとかいうモデルだと思う。
「マンタンね」
「はい、わかりました」
 小気味よい返事をしてから、車の後ろに回ってコンセントモジュールの位置を確認した。分厚い防電手袋をパンと叩き合わせて、天井からぶら下がっているプラグケーブルを手繰り、切り欠きを合わせてコンセントに差し込む。少し力を入れて押し込むと、後ろでブザーが鳴って地下のモーターが動きだした。防電靴越しに、その鈍い振動が伝わってきた。
「充電完了」
 メーターを確認してプラグを外し、お客さんにその旨を告げて、僕はT字型の読み取り機を手にした。お客さんが窓越しにクレジットカードを示すと、ピッと鳴って支払が終わった。
「ありがとうございました」
 初めての外車は、するすると国道へ戻っていった。
「ふうーっ」
 溜息をついて振り返ると、つなぎ姿の店長が口をへの字に曲げて腕組みして立っていた。
「もっと、声を大きく出さないと」
 怒るときもどこか諦めたような静かな口調なので、あまり怒られてるという気がしない。
「そんなんじゃお客さんに聞こえねえよ」
 僕は少し不審がった。自分では充分大きな声を出しているつもりだった。確かに、国道には車がひっきりなしに通っているが、聞こえるのはタイヤの擦れる音と風切り音くらいで、むしろBGMのほうが大きいくらいだ。
「ま、いいや・・・」
 店長はぼそっと呟いて、頭を掻きながら整備車庫へ戻っていった。
 僕はどうも合点がいかなかった。細かいことだが、未だにガソリンスタンドと言うのも合点がいかない。電気スタンドではさすがにマズイだろうけど、もっと他の言い方があってもいいようなものだ。
 先刻の支払の確認をしていると、妙な地響きがしてきた。それはだんだん大きくなって、こちらへ近づいてくるようだった。僕は思わず道路のほうへ出ようとした。
「うわっ」
 一台の車が、スタンドに入ってきた。物凄い音が車からしている。故障かもしれないので店長を呼びにいこうとすると、その車の運転手に呼び止められた。
「ねえ、ここ、ガソリンある?」
 車の音でよく聞こえなかったが、その若い男の人は確かにそう言った。それにしてもうるさい車だ。腹の底から震えるような轟音が響いている。
「少々、お待ちください、店長呼んできます」
「え?」
「店長呼んできます!」
 そう言って振り向くと、ポリタンクを持った店長がやってきた。
「助かったあ」
 男の人はそう言うと、何やら車の操作をした。静かになった。
「この辺ぜんぜんなくってさあ、あっても電気ばっかりで、助かりましたよ」
「99年のR35だね、こいつぁ」
「じいちゃんの車なんですよ」
 店長は、男の人と二言三言話してから車の後ろに回った。慌てて煙草を消して、嬉しそうにポリタンクを抱え上げる店長の顔を、僕は呆然と見ているだけだった。
 辺りに、鼻をつく臭いが広がった。
「ガソリン?・・・」
 店長が車に入れているのは、電気ではなくガソリンだった。とするとこの車は、モーターでなくエンジンで動く車で、あの轟音はそのエンジンの音だったのだ。
「カード効かねえから、五千円でいいや」
 男の人は、現金を僕に差し出した。僕は、慌ててそれを受け取った。
「ど、どうもあり・・・」
 車のエンジンがかかって、轟音に僕の言葉は掻き消された。
「ありがとうございましたーっ!」
 後ろから、店長の聞いたこともない大声が響いた。僕は思わず店長を見た。
「・・・ほら、あいさつしねえか」
 僕は、受け取った五千円札を握り締めて、車のほうに向き直った。
「あ、ありがとうございましたあっ!」
 ガソリンで動く騒々しい車に乗った男の人は、手を振って国道に戻っていった。
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