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クラウリーナ・エルレディア 第四章
ラウル・スバストラウは、その報告を一笑に付した。投げた書類が、窓光を鈍く照り返す机の上を滑っていった。「連邦軍などと、たわけたことを・・・」
スペリアード軍司令本部庁舎最上階、統括司令官執務室の窓からは、遥かルオン川の上流が見渡せた。スバストラウは、腰の後ろで手を組んで窓の側に立った。銀糸を織り込んだ白い軍服が、陽光に淡く輝いている。
「ですが総司令官、時代の趨勢はもはや一国による独裁じみた統治ではなく、各国が協調した真の連邦制へと動いておるのです」
「独裁じみたとは聞き捨てならんな、モーゼス殿」
モーゼスは、座ったまま頭を垂れて失言を詫びた。
「連邦政務局長の言葉とはとても思えん。かつて一度たりとも、陛下がこのゴルドレックを独裁したことはない。二度とその言葉、貴殿の口から聞いたとあらば容赦はせぬ」
「しかし総司令、このまま連邦政治を我がスペリアード一国で執り行うのはもはや限界、早急に連邦議会を召集し、懸案事項の検討を・・・」
「それはおぬしら政治屋の問題であろう。我々軍属が関わることではない」
「その軍が、我がスペリアードの財政を圧迫していることに、まだお気付きでないのですか。何も、スペリアード全軍を連邦軍に転換せよとは申しておりません。我が国が連邦各国に派遣している二十一個師団は、既に連邦軍といっても差しつかえのないものです。これだけの部隊でも負担が軽減されれば、我が国の財政も幾許かよくなりましょう」
「貴殿の申されていることがわからぬわけではない。が、私が納得できないのは連邦軍の指揮権だ。その草案には、連邦軍の指揮権は連邦政府部内に有するとある。これは、有事の際の指揮系統の混乱を招きかねん」
モーゼスは、椅子に深く腰掛けたままで眉間を皺ませた。
「我がスペリアード軍は、スペリアードの民と領土を守るためにある。それ以上でもそれ以下でもない。この国に、二つと軍はいらぬ」
「では、どうあっても連邦軍は承認していただけないので?」
「・・・モーゼス殿、貴公の企みなどとうにわかっておる」
スバストラウは、細い顎をさすりながら薄笑みを浮かべた。
「企みですと?」
「膨れ上がった軍事費軽減を餌にすれば、民衆の懐柔は易しかろうが、各国協調の連邦政府などと笑止千万、連邦政府が連邦軍を抱えれば、それは連邦の権威拡大につながり、延いては連邦政府による独裁へと向かう。違うかね?」
モーゼスは、眉をひくつかせた。
「先の大戦、ヌーデトワールは軍部の暴走を止められずに戦乱を引き起こした。ヌ軍の指揮権が文民によって統制されておれば、暴走は止められたはず。その連邦軍、誰が統制するつもりだ、モーゼス殿」
「・・・惜しい、実に惜しい」モーゼスは、ゆっくりと立ち上がった。「協力していただければそれなりのものを用意していたのだが、もはやこれまで」
「ふん、貴様の思うようには・・・」
振り向いたスバストラウは、もう一人の人影を見た。だが、それを確かめることはできなかった。
「・・・行くのだよ、思うようにな」
赤く染まった景色を一瞥して、モーゼスは執務室を後にした。
夜が冷えるようになって、ミラウの腰は悲鳴を上げていた。さすがの剣爵も、寄る年波には剣が立たない。
「わしもいよいよじゃのう・・・」
ミラウは独りごちながら、重ねた布団の中で寝返りを打った。
「あいたたた」
これまでにない激痛に、ミラウは起き上がった。
「こりゃ参ったわい」
布団の上で大きく息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。厚手の上衣を羽織って縁側に出ると、星の瞬く空を見上げた。
「・・・ああは言ったが、やはり離れてみると寂しいもんじゃな・・・」
剣術宮試の優勝で授けられた剣将の位称を預かって、ミラウはクラウリーナを自分の許から離した。スコットやクライスがどう説得したかは知らないが、剣を続けると言ったクラウリーナの言葉を、ミラウは喜んで受け取った。
だがミラウは、しばらく考える時間をクラウリーナに与えた。一人前の剣士になるには、腕や位だけでなく人間的な成長が必要だと思ったからだった。バルバロスの計らいで、アーネハースの祖母の家に厄介になっていると聞いている。市都を離れれば、女剣士を揶揄する言葉もそう届かないだろう。そういった言葉に潰されないようにするためにも、しっかりした精神を身に付けなければならない。
「・・・おおそうじゃ、忘れておった」
ミラウは、部屋に戻って急に身支度を始めた。
「新しい剣を誂えねば」
瞬く間に支度は終わり、まだ夜も明けきらないうちにミラウは庵を後にした。その手には、大戦を共に戦い抜いた剣が二本、携えられていた。
「これが終われば、わしの役目も・・・」
ミラウは、ラザン・マッカードの言葉を思い出していた。老いた世代の果たすべき責任、それを全うするまでは死ねぬと、ミラウは足取りも軽やかに北へ向かった。
アーネハースの町は、海からの暖かい南風が吹き込んで、長い秋が続いていた。マリナ・アレス・クシシュトアは、厨房の窓から澄み切った青空を眺めた。
太古の昔、アーネハースの辺りを中心とした沿岸地域は、クシシュトア一族によって統治されていた。西方に興ったルラル国が侵攻するまでの三百年間、ゴルドレック大陸の東半分はクシシュトア家によって支配されていた。歴史書では、クシシュトア家はルラル国に滅ぼされたことになっているが、アーネハースの各地には、そのクシシュトアを名乗る家が多数残っている。今となっては、それらが本当にクシシュトア家の末裔かどうか、見定める術はない。
レイラーナの生家でもあるこの屋敷は、アーネハース南の高台にあり、遠く海を見渡せる。息子や娘達を育てたこの屋敷も、マリナ一人には広過ぎる。かといって思い出が詰まったこの土地を離れる決心もつかず、時間を持て余す日々を送っていた矢先の、突然の知らせである。
たっぷり汗をかいて帰ってくる孫のために、マリナは昼食と別に果汁の入った飲み物を用意するようになった。望んでいたわけではなかったが、しばらくの間とはいえ孫と一緒に暮らせる喜びに、笑顔が絶えなかった。
浴室に湯を沸かし、マリナは食卓に座って孫の帰りを待った。
「ただいまあ」
以前は、椅子から立ち上がるのも億劫だったのが嘘のように、マリナは玄関へ向かった。
「お帰りクラウ。お湯沸いてるから、汗をお流し」
「うん、ありがとう、おばあちゃん」
屈託のない孫の笑顔に、マリナは久しく忘れていた幸せを感じていた。
「身体をちゃんと拭くんだよ」
少し長めに返事して、クラウリーナは浴室の扉を閉めた。
「あちち」
この熱めの湯が、使い込んだ筋肉の緊張を解く。手桶ですくいながら、腕や足に少しずつかけていく。湯気のたっぷり充満した浴室は、長い時間裸でいても寒くなることはない。
宮試優勝の反響は、予想以上にクラウリーナの周りに沸き起こった。ミラウの許はともかく、バルバロスのところにまで入門や手合わせの問い合わせが殺到した。ほとぼりが冷めるまでとは言われたが、クラウリーナはずっとここにいてもいいと思っていた。
昼まで裏庭で剣の訓練をし、昼からはマリナに裁縫と行儀作法を習い、夕食は毎日違う献立で一緒に料理をつくる。親元を離れた寂しさを思い起こさせないほど、日々の生活は楽しいものだった。
最後に残った湯を頭からかぶって、クラウリーナは浴室を出た。
「おばあちゃん、倉庫の野菜もうないよ」
「あら、そうだったかしら。じゃあ買いに行かないと、・・・まあまあ、ちゃんと身体を拭きなさいって言ったのに」
「拭いたもん」
「ほら、まだ髪が濡れてるでしょ、風邪ひくわよ」
クラウリーナが首に掛けていた厚手の布を取り上げると、マリナは後ろから髪を拭き始めた。
「そういえば、レイラーナが小さい頃はいつも裸で走り回っていたわ」
「母さんが? ほんと?」
「濡れた足でそこら中走り回るもんだから、あちこちびしょびしょで」
「へえ、いいこと聞いちゃった」
「あら、今のは内緒にしといてね」
髪を拭くマリナの手は優しく、それは母の感触とはまた違った心地好さがあった。
「ねえクラウリーナ」
「なあに?」
「・・・もう、髪を伸ばすことはないのかい?」
ためらった返事に、マリナの手が止まった。
「す、済まないね、変なこと聞いて。いいんだよ、お前はそれでいいんだよ」
「・・・ごめんね、おばあちゃん」
「さ、お昼が済んだら、買い物に行きましょう」
黄柑を搾った飲み物は、いつもより酸味が効いているような気がして、クラウリーナは口を窄めた。
ゴルドレック鉄道が敷設されてより一層、アーネハースの町は活気に溢れている。古来東西の要所として発展してきた町は、連邦経済の中心といっても過言ではないだろう。
中央駅から続く街道沿いの市場は、食材を初めとしたいろいろな商品が並んで、見ているだけでも飽きない。
「あ、これ安い」
「まだよ、買うのは一通り見てから」
この慎重さは母にはないと、クラウリーナは思った。
「鉄道のおかげで新鮮なのが手に入るのはいいけど、やっぱりその分値段は割高ね」
「へえ、そうなの?」
「流通経費っていうのが元値に足されるのよ。新鮮さを取るか、値段を取るか、品物に応じてそれぞれ考えて買わないとだめなのよ」
「ふーん」
アーネハースに来てからというもの、クラウリーナは毎日が勉強だった。教導所では教わらないことがこんなにも多いとは、だがそんな毎日でも楽しく思えるのは、きっと祖母のおかげだろう。祖母が教導所の先生だったらと、クラウリーナは思った。
「あ、あそこにも店がある」
街道の脇道を入った奥に、屋台組みの店があった。色とりどりの果物や野菜が所狭しと並べられ、その新鮮さは遠目でもわかった。
「おいしそう!」
思わず駆け寄ったクラウリーナだったが、周りには全く客の姿がない。やがて、屋台の向こうで何かが動いて、屋根越しに視線を感じた。
「いらっしゃい・・・」
屋台の向こうに立っていた大男に、マリナは思わず声を上げた。
「ク、クラウ、危ない!」
だがクラウリーナは、臆することなく大男を見上げた。
「あなた、確か宮試で・・・」
「我、ずっと探していた」
「探していた? あたしを?」
大男は、優しい微笑みを浮かべて頷いた。
「ルラルの神が我を呼ぶ。剣を操る女子に仕えよと」
「ルラル? 剣を操る女子って、あたしのこと?」
大男は、大きな手を合わせて拝み始めた。
「・・・ち、ちょっと、クラウ」
「あ、大丈夫よおばあちゃん、この人知ってる人」
「そ、そうなのかい?」マリナは、恐る恐る近づいた。
「ねえ、あたしを探していたって、どういうこと? 何か用事?」
「それはルラルの神の導き、我にも意味はわからぬ」
「わからぬ、って、用もないのに探されちゃ・・・」
街角から奇妙な鼻歌が聞こえてきた。クラウリーナは、聞き覚えのあるその声を探した。
「相棒、そろそろ店番交代・・・、おわっ!」
脇道から姿を見せた鼻歌の主も、見覚えのある男だった。
「あ、あなたも宮試のときの?」
「や、やっぱりそうか、あんたこの町に」
しゃくれ男は、クラウリーナの手を取って感激していた。
「ほんとにいいの?」
「いいっていいって、別に俺達果物屋でもなんでもねえんだからよ」
しゃくれ男の後ろから、屋台ごと担いだ大男がついてくる。大男は、クラウリーナが初戦で戦ったゴーダ・ラグ、しゃくれ男は第二回戦で戦ったトーラス・スピリフィスだった。
「じゃ二人とも、ずーっとあたしを探してたの?」
「ん、まあ、そういうことだな」
クラウリーナは、不安そうなマリナを説得して屋敷に招き入れた。マリナは食卓に座っている二人に茶を出すと、そそくさと出ていった。
「ルラルの神が我を呼ぶ。剣を操る女子に仕えよと・・・」
「それ、先刻も聞いたけど」
「こいつは、シンラールの出身でな、ルラル教の信者なんだ。こいつの言うこと結構当たるんだぜ」
「じゃ、トーラスさんは、ゴーダさんの手伝いってわけ?」
「ん、まあ、そういうことだな」
「・・・なんか先刻からそればっかり」
「いやあ、疑われんのも無理ねえけど、実際のところ俺にもよくわからねえんだよ」
トーラスは、困ったという風に頭を掻いた。
「そんなんじゃ納得できるわけないでしょ? いきなりやってきてあたしを探してたかなんだか知らないけど、それでこれからずっと付いていく、なんて言われて、あたしが返事すると思う?」
「だからさあ、用心棒でもなんでもいいから・・・、あ、でも、俺達よりあんたのほうが強いんだったな」
「・・・あと二人・・・」
「二人?」
「相棒、俺達の他にまだいるのか?」
その時、玄関を叩く音がした。
「三人目かな」
「もうっ」
クラウリーナは、食卓を叩くように手を付いて立ち上がった。
「・・・俺だって、わからねえもんはわからねえんだよ。な、相棒」
「然り。全てはルラルの神の導き」
「あーあ、俺も神門に入ろうかな・・・」
程なく、つかつかとやってきたクラウリーナは、裏口を指差した。
「とりあえず、今日のところは帰って」
「え、いや、でも」
「別にあたしに付きまとうのは構わないけど、もっとちゃんとした説明して」
「じゃ、また来ていい? なんか果物持ってくるからさ」
「手ぶらでいいです。今日は帰って」
「じ、じゃ、またね」
トーラスは、卑屈そうに背中を丸めてクラウリーナに従った。ゴーダは、裏口が小さくて身体を丸めて出ていった。
「お客さんじゃなかったのか?」
「いいのよ、あんなの」
小さな包みを持って、屋敷を訪れたのはクライスだった。
「これ、おばあちゃんに」
「あ、ちょっと待って、呼んでくる」
「いいんだクラウ、長居するつもりはない」
「そう?」
軍服のままのクライスが、その言葉を裏付けていた。微かに馬の鼻息も聞こえる。
「こっちはどうだ」
「うん、おばあちゃんに毎日いろんなこと教えてもらってる」
その笑顔を見れば、クライスには充分わかった。
「何か変わったことは?」
「うん、ない・・・、こともないけど、大丈夫」
「そうか・・・」
「どうしたの?」
「・・・いや、ならいいんだ。ちゃんと練習してるか?」
「してるわよ、毎日。料理だって毎日やってるんだからね」
「そうか、じゃ戻ったら父さん喜ぶな」
「剣爵様は、時が来たら迎えに行くっておっしゃってたけど、いつになるのかな」
「さあな。こればっかりは、兄さんにもわからないよ」
クライスは、手を延ばしてクラウリーナの頬に触れた。
「時は必ず来るさ。じゃあな、クラウ」
「ねえ、たまにはそっち遊びに行っていい?」
「ああ、ロブスも喜ぶ。おばあちゃんも一緒がいいな」
「うん、そうする」
クライスは、見送りを断って玄関を出た。
「お待たせしました」
「・・・もう、いいのか」
クライスは、玄関を振り返った。
「ええ、構いません」
「では急ごう」
第六師団司令ライア・スタークは、先鋒を取って手綱を引いた。
スペリアード軍統括司令長官の急逝は、当然の如く軍部に衝撃を与えた。王宮庁軍務局の公式発表を待たずに、様々な憶測が乱れ飛んだ。西部軍は逸早く反応し、国境警備を強化した。クライスの所属する第六師団も、南部街道の国境線へ派遣されることになった。
「可能性がある限り、対処すべきものは対処せねばな」
スタークの言葉が意味するものに、クライスは懐疑的にならざるを得なかった。暗殺の可能性がないとは言えないものの、国境線へ部隊を動かさねばならないほど事態が逼迫しているとは思えない。それが、最高司令官を失った司令部の混乱によるものなのか、軍人達の自然な反応なのか、クライスには計り知れなかった。
腹心の剣士で組織した特務隊を引き連れて、クライスは自ら情報収集任務を願い出た。
広大なブンシュトルフ山脈の麓、良質な鉱石と豊かな水に恵まれたヴァレガは、鍛冶職人の町でもある。戦時中は特需で賑わっていたが、今はひっそりと遠く鎚打つ音が聞こえるだけである。
町の周辺には、その特需で建てられた屋敷が並び、古くからある町と佇まいを画している。ヴァレガの町を潤すミアン川は、ブンシュトルフの冷たい湧水を運んで流れ行く。ミラウは、その川を見下ろす橋の袂にいた。
「ふう・・・、ようやく見覚えのあるところにきたわい」
こめかみを一筋流れた汗を拭うと、山から吹く冬颪にひんやりとする。再び歩を進めたミラウは、真っすぐ旧知の鍛冶職人の店を訪ねた。山肌が迫る町の奥、小さな川が流れるほとりに建つ小屋は、煙突から薄らと白い蒸気を立ち上らせていた。
「ほう、まだ生きとるようじゃな」
急いでいたので手土産もなかったが、渡したところで突っ返されるに違いない。ミラウは、五十年ぶりの再会に心を躍らせながら小屋の戸を叩いた。
「なんだよ、開いてるよ」
聞こえてきたのは、若い声だった。ミラウは、訝りながらゆっくりと戸を押し開けた。
「何か用かい、じいさん」
声の主は、立卓に頬杖をついて出迎えた。ミラウが店の様子を懐かしんでいると、若者はせわしく足を鳴らした。
「こちらに、ロシャ・ブレアードという職人がいるはずなんじゃが」
「ああ、うちのじいさんだけど、新規の注文ならだめだぜ、ずーっと詰まってる。たぶんじいさんが死ぬまで終わらねえよ」
「急ぎなんじゃがな」
「だめだめそんなこと言っても。久しぶりに軍から注文がわんさか入ったんだ。それもみんな急ぎでね。あんただけ特別扱いするわけにゃいかねえよ」
「そうか、ではこれは・・・」
ミラウは、携えてきた剣を立卓に置いて、踵を返した。
「ちょ、ちょっとじいさん困るよ、持って帰ってくれよ」
ミラウはほくそ笑みながら、振り向きもせず戸を閉めた。
「・・・よう似とる、若い頃の奴にそっくりじゃ」
小屋から数歩も歩かぬうちに、呼び止める声がした。
「ちょっと待ってください!」
それは、先刻と同じとは思えない声の調子だった。ミラウは、剣を持って小屋から出てきた若者を振り返った。その後ろから、足取りも覚束ない老人が小屋から出てきた。
「・・・イーリャ、・・・その剣を貸せ」
老人は、若者から剣を受け取ると、ミラウを睨むように一瞥して小屋に戻った。
「ふん、相変わらず愛想一つ見せん」
若者は、身の置き所がないのかあたふたしている。
「お、お客さん、あの剣はもしかして・・・」
「わしは宿におる。仕上がったら届けてくれないか」
「・・・わ、わかりました」
ミラウは、その若者に代金の入った小袋を渡すと、元来た道を町へ戻った。
「・・・目利きは確かじゃな。さすがは鍛冶屋の血を引くだけのことはある、あの若僧・・・」
ブンシュトルフの冬颪が一段と冷たくなった翌朝、宿にミラウを訪ねる客があった。
「・・・せ、先日は失礼しました、剣爵様。私は、イーリャ・ブレアードと言います」
鍛冶屋の若者は、年の頃は二十歳そこそこだろうか。浅黒い顔がぎこちなく笑った。部屋にイーリャを招き入れたミラウは、早速彼から剣を受け取った。
「・・・見事じゃ・・・、二本分を溶かし合わせるのはいささか不安じゃったが、これだけ見事に仕上げるとは・・・」
少し長めの細身の剣は、中央が膨らんだようにやや厚めで、両側中程まで刃が施されていた。鍔は握り手を覆う半球形、柄は刀身と同じく細く仕上げられているが、握りの部分から離れるほど太めになっている。
ミラウは剣を一通り眺め、満足そうに鞘に収めた。
「・・・実は、剣爵様、・・・祖父が今朝、亡くなりました」
「な、・・・なんと!」
「あれからすぐにご注文に取り掛かり、私が早朝に小屋を訪ねたときには、祖父は剣を仕上げる寸前で事切れておりました」
「するとこの剣は・・・」
「・・・仕上げは、私が・・・、やろうかどうか迷いましたが、祖父の最後の仕事、このまま捨て置くわけにもいかず、私如き若輩者が手を・・・、申し訳ありません」
イーリャは、涙を流しながら頭を深く下げた。
「よいよい、頭を下げずともよい。・・・イーリャとか申したな」
「・・・はい」
「わしがこの剣を見たとき、紛れもなくロシャ・ブレアードの手によるものだと思うた」
「け、剣爵様・・・」
「そなたの腕、紛うことなく祖父を受け継いでおる。これからも己に自信を持って精進なされ」
「あ、ありがとうございます、剣爵様」
イーリャは、屈託のない笑顔を見せて、部屋を出ていった。
「・・・ロシャよ、そなたの魂、このジュゼ・ミラウが確かに受け継いだ。わしもじき行く故、酒でも用意して待っておれ・・・」
ヴァレガの町を後にするころ、空から雪が舞い降りてきた。
「クラウよ、後は頼んだぞ・・・」
ミラウは、アーネハースへ急いだ。
王宮庁軍務局は、スバストラウ統括司令長官の急逝を、暗殺によるものではないと正式に発表した。だが、詳しい理由については言及せず、その発表については時期をみるとした。これを受けてスペリアード軍は、展開させていた部隊の大半を引き揚げさせたが、過剰とも言える反応に行政側から批判が上がった。
王宮庁中央執行部は、軍の最高指揮権を各方面軍司令官と連邦軍務局長による臨時統括司令部に移行させ、連邦議会の前倒し開催を連邦政府と各国行政府に提案、連邦政務局はこれをただちに了承して、一月後に連邦議会を開催することを決定した。
「・・・性急だったのではないですか? モーゼス殿」
「遅かれ早かれ、彼は死ぬ運命にあった。要はいかに事を円滑に運ぶことなのだよ、キュロア殿」
怪訝そうに案ずるキュロアを一瞥して、モーゼスは大きく胸を膨らませた。政務局長執務室の窓からは、深い夜に包まれたスペリアードの町が見えていた。
「しかし、ダイストーの行方も掴めず、遺言状の在りかも定かでないとなれば、事は慎重に運ぶべきでは・・・」
「失策だったと言いたいのかね!」
モーゼスは、机に両の拳を叩き付けた。
「・・・ダイストーが本当に遺言状を託されているのか、その遺言状自体、本当に存在するのか、誰も確かめた者はおらん。大方ダイストー奴は、イシク王の死に悲しみのあまり後を追ったのであろうよ」
モーゼスは、己の言葉の確信のなさに、立ち上がって背を向けた。
「そうであればよいのですが・・・」
キュロアは、そう答えるのが精一杯であった。
「引き続きダイストーの捜索を、一人老いさらばえた剣爵の監視も強化するのだ。ダイストーが生きているのであれば接触を図るやもしれん。次第によっては拘束しても構わぬ」
「例の、ラザン・マッカードも不穏な動きを見せております。先の宮試にも素性を秘して出場していたようで」
「・・・マッカード奴、生かしておいたのは過ぎた温情であった。各方面軍に手配をかけよ」
「しかし、奴とてコモン・ラシーヌの手練、そう容易くは・・・」
「あれを使ってよい、捜し出して必ず始末させるのだ」
小剣にこびり付いた血糊は、どす黒く乾いていた。暗い瞳は、死線をさまようように朧げに光を帯びていた。
「あ、そっちもお願いね。終わったら裏庭もやってちょうだい」
「はい、わかりましたあ」
「男手があるとほんと助かるわねえ」
マリナの姿が屋敷の中に消えて、トーラスは舌打ちをした。
「なんてこった、厚意に甘えて泊めてもらったらこのざまだ。俺達こんなことするために来てるんじゃねえぞ」
「我思い出す、修業時代」
ゴーダは、いそいそと枝帚で落ち葉をかき集めている。
「俺もよくやったよ、規律違反の罰でな」トーラスは、頭に巻いていた鉢巻きを投げ捨てた。「あーくそっ、やってられっかこんなこと!」
「さぼってるとお昼抜きよ」
上からする声に、トーラスは首をすくめた。
「な、なんだ、そ、そこにいたのか」
クラウリーナは、二階の窓から前庭を見下ろしていた。
「着替えたらあたしも手伝うから、ね」
愛苦しい笑顔を残して、二階の窓が閉まった。
「・・・か、かわいいじゃねえか・・・。ん?」
枝帚を持ったまま、ゴーダは呆然と立ち尽くしていた。
「相棒! お前もか?」
「・・・・・・我を呼ぶ、ルラルの神が、我を呼ぶ」
「ごまかすな」
朴訥とした浅黒い顔も、耳の端だけは赤く染まっていた。
「さ、お昼ですよ」
初めは二人を警戒していたマリナもすっかり打ち解け、賑やかな食卓に満足そうにしている。
「ね、午後から手合わせしない? どうせ暇なんでしょ?」
クラウリーナは、悪戯っぽく微笑みながら白麦パンを小さくちぎった。
「どうせってなんだよ、どうせって。・・・どうせ暇だけどよ」
「あら、午後は買い物じゃなかったの?」
「後で行くから、いいでしょおばあちゃん」
マリナは、肩をすくめて野菜スープに口を付けた。
「二人のコモン、ちょっと興味あるんだ」
トーラスは、黄柑の実にかじりつきながらクラウリーナをまじまじと見た。
「コモン・ディークって絶対に槍なの?」
昼食後、三人はそれぞれに剣を携えて裏庭にいた。
「ディークってのは、元々騎兵の剣術なんだ。馬上から攻撃するには、長いほうがいいだろ」
トーラスは、槍を頭上でくるくると回した。
「開祖は、ロガリアのホロウ・ルカイ。大戦で騎馬軍を率いた名将さ。ルザールの戦いで、船上から敵将を仕留めたってのは有名な話だ」
「じゃトーラスさん、ロガリアの人なんだ」
「言ってなかったか? これでも元騎馬隊だぜ」
「騎馬隊、難関。ロガリア軍の精鋭部隊」
「お、相棒、いい合いの手だね」
「規律厳しい。故に脱落」
「うるせえよ」
「ねえ、ゴーダさんは?」
ゴーダは、地面に突き立てていた大剣を頭上に掲げた。
「ガラ・フェンドリオを敬服する者、即ちコモン・ジュール」
「ガラ・・・、なあに?」
「シンラール王朝の親衛隊に、そんな坊さんがいたんだってさ。その坊さんがさ、破門されてスペリアード軍の傭兵になって大活躍したんだと。まあ、どこまでほんとか知らねえけど」
「じゃ、ゴーダさんも破門されたの?」
ゴーダのこめかみから、一筋汗が流れた。
「ははっ、こりゃいいや相棒、あはははっ」
「笑止!」
おもむろに、ゴーダは掲げていた大剣をトーラス目掛けて振り下ろした。
「おっと! 久々にやるか、相棒」
「承知!」
二人は、クラウリーナの許から飛び退くように離れると、剣を構えて間合いをとった。
「どうするんだろ・・・」
本気でないことは容易に察しえたが、二人の剣は本身である。クラウリーナは、心中穏やかではなかった。
「来い!」
トーラスが、得意げに槍を振り回す。下段に構えたところへ、ゴーダが大剣を振り下ろした。
「あっ!」
剣の弾き合う音が、裏庭中に擘裂した。あの幅広で巨大な剣を、トーラスの槍先はしっかりと捕えていた。槍の柄は僅かにしなり、柄を抱える両腕は大きく膨れ上がっている。
「力には力、攻守いずれも同じこと。相手の力を分散させて剣を止める、これぞ我が奥義ディーク・ルース」
トーラスは、まるで口上のように捲し立てると、ゴーダの剣を払い退けた。
「まだまだ、来い相棒!」
ゴーダは、片手で大剣を持って突きの姿勢を見せた。
「参!」
大きな身体に似合わず素早い突きは、トーラスの合わせる槍を弾き飛ばした。
「ジ、ジュール・ガノだな」
剣を回転させながらの突きは、幅広な剣と相俟って合わせようとする剣を弾き飛ばしてしまう。
「剣を合わせること能わざる也。奥義ジュール・ガノ」
クラウリーナは、二人が自分のために手合わせしてくれていることに気づいた。次々と繰り出される互いの奥義に、クラウリーナの目は輝いていた。
ミシュアードは、アーネハースから北部街道沿いに、ル・パフとの国境付近にある宿場町である。ブンシュトルフ山脈の西端に位置し、起伏の激しい土地をうねるように町並みが広がっている。
スペリアード軍が戦略上最も重要視している町でもあり、国境警備軍十個師団の本部や、西部方面軍の三分の一の戦力がこの地に常駐していることからも、そのことが窺い知れる。
「隊長、そろそろ峠を越えます」
スバストラウ統括司令官逝去に関する王宮庁軍務局の公式発表で、ほとんどの部隊は引き返した。第六師団も撤収命令が出ていたが、クライスは特務隊を率いてこのミシュアードに残った。
身体の外側を覆う騎兵甲を繞った五人の剣士は、ル・パフ方面が見渡せる峠近くの開けたところへ出た。
「まさか、国境は越えていないでしょう」先鋒のサキ・シドレアンが、下馬して遠くを見遣った。本隊から離れているせいか、幼い顔は嬉々としている。
「それにしても解せません、何故マッカード殿が手配などと」クライスの右手にいたユーグ・パーシバルが訝しげに呟いた。彼の助言がなければ、特務隊を立ち上げることもなかっただろう。
「総司令官逝去の件と何か関係があるのでしょうか」後ろに控えているアーネス・スクラウドが訊いた。野心を抱いた剣兵士官は、出世を捨ててクライスに付いてきた。
「・・・だから残ったのでありますか、隊長」
クライスは、背中に携砲を背負った左のマリナス・ラクランを見遣った。西部軍随一の砲兵は、随一の皮肉屋でもあった。
「わからない。・・・が、何か釈然としないものがあることは確かだ」クライスは、手綱を引いた。「先鋒を執る!」
その釈然としないものを振り払うかのように、クライスの馬は速度を上げて木立の中を疾駆した。
今頃二人は疲れて眠っているだろう。二時間近くに渡って互いの奥義を披露し合った挙げ句、買い物の付き添いを断って二人とも寝台へ倒れ込んでしまった。おかげでいろいろな勉強ができたのだからと、クラウリーナは一人で町に出てきた。
「ゴーダさんだけでも付いてきてほしかったな」
帰りの荷物のことを思うと、ついつい財布の紐も締まりがちである。
「あれ?」
店が立ち並ぶ街道を駅前まで来ると、何やら騒がしい雰囲気があった。目を遣ると、軽装の警備兵が駅前に集結していた。
「何だろう」
警備兵は、号令の後に散開して通りのあちこちへ走っていった。駅前までやってきたクラウリーナは、掲示板に貼り出されたばかりの手配書を覗きこんだ。
「・・・この人どっかで・・・、あ!」
印刷の塗料がかすれていたが、それはあのラザン・マッカードであった。
「手配って、どういう・・・」
「おい、そこの!」
手配書をずっと覗きこんでいたため、クラウリーナの許に一人の警備兵が駆け付けてきた。
「その男を知っている風だが、そうなのか?」
警備兵は、強い口調で問いただした。
「い、いえ、あの・・・」
「知っているのか!」
「こ、この人、イルモア・クリーブランドですよね?」
警備兵は、クラウリーナを一頻り睨みつけると、舌打ちをしてその場から離れていった。
「・・・ふう、危なかったあ」
クラウリーナも、そそくさとその場から離れた。
「・・・でも、マッカードさんが、どうして・・・」
気がつくと、クラウリーナは屋敷に帰ってきていた。もう一つ気がつくと、思案に暮れていたのか買い物をすっかり忘れていたのだ。
「ああっ、もう・・・」
陽も傾き、買い物は明日にして言い訳を考えながら、クラウリーナは屋敷に入った。
「お、噂をすればなんとやらだ」
トーラスが、つかつかと歩み寄ってきた。
「クラウリーナ、お客さんだぜ」
親指のほうを見遣ると、思案に暮れるもとになった人物がいた。
「マッカードさん!」
「憶えていてくれましたか。このラザン・マッカード光栄に・・・」
マッカードが言い終わらないうちに、クラウリーナは彼の許へ駆け寄った。
「マッカードさん、手配書が駅前に・・・」
「なんと、・・・もうそこまで手が回ったとは」
「手配書?」聞き付けたトーラスとゴーダが近寄ってきた。
「マッカードさん、あんた何やらかしたんだ?」
「手配が回ったとあれば、長居は無用、これにて失礼する」
「待って!」
クラウリーナは、マッカードの行く手を阻むように立ちはだかった。
「あたしに何か用なんでしょう? 宮試の時からずっと気になってたの」
「いやしかし、手配されている身とあらば、おぬし達に要らざる嫌疑が」
「マッカードさんよ、先刻も話した通り、俺達がこうして集まっているのは偶然じゃねえと思うんだ」
「然り。神の導き也」
「少々のことなら大丈夫さ。なんたってこっちは宮試出場者が三人もいるんだぜ。あんたを含めりゃ四人だ」
マッカードは、この場に集まっている一人一人を感慨深げに見つめた。
「・・・神の導き・・・、その神とやらを、私も信じてみようぞ」
クラウリーナは、連邦政府がゴルドレック大陸の覇権を手中にしようとしていることや、マッカードがイシク王の特命により新たな五剣爵を捜していることを聞かされた。そして、イシク王が既に崩御されていることに、深い悲しみを覚えた。
「イシク王の崩御に関しては、近く開かれる臨時連邦議会で何らかの発表があるはずだ。そこで連邦政府は、新たに連邦軍を設立して権威拡大を図り、陛下亡き後のゴルドレックを治めるつもりだろう」
「なるほどな、連邦っつっても、実際は各国の自治権を尊重してたから、権威という意味では形骸化してたかもな」
「それも陛下が民のための政治を執っておられたからこそ。もし連邦政府が権威を拡大すれば、それは一部の政府公官のみが利益を貧る強権政治となりうる」
「遺言は? 陛下は御遺言をお残しにならなかったの?」
「遺言状を巡って争いが起こることは必定、初めから陛下は遺言をお残しにならないと決めておられた。しかし、侍従長のルワン・ダイストー殿が行方不明なのは気にかかる。不逞の輩が、遺言状の件でダイストー殿を責めるやもしれん」
マッカードは、姿勢を正してクラウリーナに向き直った。
「クラウリーナ殿、是非この私に、いやゴルドレックの未来のために、協力していただきたい」
「あ、あたし?」
クラウリーナは、鼻の頭を指差して目を白黒させた。
「クラウリーナ殿こそ、新しい五剣爵にふさわしい一人。何卒お願い申す」マッカードは、深く頭を下げた。
「で、でも、あたしなんか何にもできないわ、政治のことだって知らないし、協力するっていっても・・・」
「そちらのお二人も」
「げっ、お、俺達も?」
「我?」
二人は後退りするほど驚いた。
「そなたはロガリア軍総司令長官ご子息、御坊はシンラール王朝近衛軍王室付特務官とお見受けするが、いかがかな」
「・・・ば、ばれてるぜ、相棒」
「然り・・・」
「ち、ちょっと二人とも・・・」
クラウリーナは、まるで鳥のように首を振って、それぞれの顔を見回した。
「俺もさ、神の導きってやつを、信じてみたくなったのさ。イシク王陛下から届いた親父宛ての信書に、その新しい五剣爵ってことが書いてあって、別になりたいわけじゃなかったけど、軍隊でくさくさしてるよりは面白いだろうってな」
「隣人の苦しみは我の苦しみ。我、法皇の命によりスペリアードに入れり」
「列車でたまたま隣の席に座ったのも、今から思えば神の導きだろうな」
「然り」
「早く返せよ、乗車賃」
「・・・・・・」
「鉄道は坊さんに喜捨なんかしねえの。汽車だけど」
「・・・・・・」
「すると、陛下は私だけではなく、お二人にも」
「直接頼まれたわけじゃねえけど、漠然と何かが起こるんじゃねえかって意識はあったぜ。この国がひっくり返りゃ、俺達の国だって無傷ってわけにゃいかねえだろうし、知らん顔もできねえからな。だからこうやって来たのさ」
トーラスは、困ったように眉を顰めているクラウリーナの肩に手を遣った。
「なあ、クラウリーナ。俺達だって、何かしようと頑張ってそれが必ずできる、なんて思っちゃいねえ。世の中そんなに甘くないからな。でもな、何もしないで指咥えて見てる、ってのはごめんなんだ。俺達には剣がある。剣は人を切るためだけにあるんじゃねえ。力を示すためにあるんだ」
「そう、陛下もおっしゃっていた、正しい力を見極めよと」
「正しい力?」
「民衆を導く正しい力、それがあなたがたに備わっていると、私は確信しているのです」
「・・・でも、あたし、自分が正しいなんて」
「剣の道を選んだのが正しくないとでも言うの、クラウリーナ」
「おばあちゃん!」
階段をゆっくりとマリナが下りてきた。
「マリナ・アレス・クシシュトア殿とお見受けする。突然の訪問、お許しいただきたい」マッカードは恭しく頭を垂れた。
「ごめんなさい、話は聞かせてもらいました」
マリナの手には、剣が携えられていた。
「誰も自分が正しいかどうかなんてわからないの。人生はそれを確かめるためにあるのよ」
「おばあちゃん・・・」
「さあ、あなたに剣の魂が宿っているなら、迷いはないはずよ」
マリナは、クラウリーナに剣を渡した。
「市都に戻りなさい。この方々と共に、正しい力を見極めるのです。そして自分を示しなさい。それが剣の道を選んだあなたのすべきことです」
マッカードは、一礼して踵を返した。トーラスとゴーダも、後に続いて外に出た。
「疲れたときはいつでも帰っておいで。お湯を沸かして待ってるわ」
「・・・ごめんね、おばあちゃん」
クラウリーナは、マリナの柔らかな腕に身を預けた。
「で、四人目は、あんただろ?」
トーラスは、顎をさすりながらマッカードを見遣った。
「私は老い先短い。いずれ新しい剣士を捜さねばならんが」
「ラシーヌはだめだ、もうろくなのが残ってねえ。長生きしてもらうぜ」
肩を叩かれ、マッカードは苦笑した。
「お待たせ」
身支度したクラウリーナが、玄関から出てきた。
「もう、いいのか」
トーラスの呼びかけに答えることなく、クラウリーナは彼らを追い越して歩き始めた。
「戻りましょう、市都へ」
振り向いたその表情に、迷いはなかった。
「連邦軍・・・」
ロベルトは、その呟きを聞き逃さなかった。紅茶を注ぐ手が止まった。
「・・・いや、なんでもない」
ゴルドレック大陸の西、カカコルフ山脈に仕切られるようにヌーデトワール国はある。国土のほとんどが傾斜地で占められ、領土獲得を狙って仕掛けた先の戦争に敗北、戦後処理として軍組織は一部を残して解散させられた。行政自治権は認められているものの、政治の中枢は事実上、連邦政府の監視下にある。
遠く南海洋を見下ろす傾斜地に広がる市都は、円や孤を多用した建造物が立ち並び、ゴルドレック大陸の他の都市とは異質な風景を有している。戦前まで交易のあった異大陸文明の影響とされているが、現在は不通である。
「この世の全てのものは、スペリアードのものが最高だと思っておりましたが、この紅茶だけはここが最高でございます」
「・・・そうだな」
ロベルトは、満足そうに笑みを浮かべながら下がった。
町並みから海へと広がる壮大な眺望を持った公邸は、市都の北の最も高いところに建てられていた。スコットは、窓辺で暖かな海風に吹かれながら、午後の一時をくつろいでいた。
「・・・西の卑国だと? モーゼスめ、言いたいように言いやがる。予定通りだよ、くそったれ・・・」
琥珀色の液体が揺れる傍ら、封を切られた信書が広げられていた。折り目に支えられた便箋の一端が、風にそよいでいる。
「・・・こっちもな・・・」
「スコット様、ヌ軍司令部管理官と駐留軍副司令がお見えです」
風通しのいい扉越しに、ロベルトの声が響いた。風に吹かれていた便箋が、とうとう落ちた。
乗務員は、鉄道警備隊から一枚の手配書を渡されていた。面倒な仕事がまた一つ増えたと愚痴りながら、彼は職務に就いていた。
「乗車券を拝見・・・」
彼の目に飛び込んできたのは、どぎつい化粧をした婦人だった。いや、婦人にしては体格がよすぎる。しゃくれた顎には、あろうことか薄らと髭が窺えた。
「あら、もういいの?」
「ご、ご乗車、あ、ありがとうござい、ます・・・」
乗務員は、逃げるようにその場を離れていった。
「・・・なるほど、こいつは妙案だ」
隣で俯いて寝たふりをしていたマッカードが顔を上げた。
「でしょ? こういうの盲点って言うのよ」
クラウリーナは、得意そうに胸を張った。
「おいおい、俺の立場はどうなんだよ。・・・ま、別にいいけどよ」
「我、無言・・・、目の毒・・・」
「そこまで言うか、え、相棒」
「着くまでの我慢よ、トーラス」
「ったく・・・」
巻毛のかつらを整えながら、トーラスはまんざらでもなさそうだった。
「しかしまさか、手配されている人間が堂々と鉄道に乗ってるとは気がつかねえだろうな」
「でも、マッカードさんはどうして手配されてるの?」
「あ、そうだ、俺もそれ聞いてねえや・・・、あたしも聞きたいわ」
トーラスは、ふざけ過ぎた自分を反省した。
「それは簡単、連邦政府にとってこの私が邪魔だということだ」
「ん、ま、そりゃそうだ。こうやって集まって一騒動やらかそうとしてるんだからな」
「心しておいてほしいのは、私に協力する君達も連邦にとって邪魔になる」
「ん、ま・・・え? じゃ俺達も手配されんの?」
「場合によってはな」
「それはないと思うわ。仮にもトーラスはロガリア軍司令の息子だし、ゴーダさんだってシンラール王朝の王室付の人でしょ? そんな人をそう簡単に手配しちゃ外交問題になるわ」
「確かに、クラウリーナ殿のおっしゃる通り」
「殿はいらないって」
「・・・だがそれは、連邦政府が権力を得るまでの話。奴らが大陸の覇権を握れば、外交問題など取るに足らん」
「そっか・・・」
クラウリーナは、腕組みをして考え込んだ。
「・・・もっと政治のこと勉強しときゃよかったな」
「今更何言ってんだよ。ちゃんと勉強なんかしてたら今頃はかわいいお嫁さんだ、こんなとこにいねえよ」
「・・・そっか、じゃこれでいいんだ」
「変な納得しやがるぜ」
平原が続いていた景色が、森に変わった。
「・・・スコットがいてくれたら、少しは政治のこと教えてくれるかな」
「ん? 誰? これ?」
トーラスは、いやらしそうに親指を立てた。
「そんな下品じゃありませんっ」
「スコットというのは、・・・スコット・クリスレードのことか?」
「マッカードさん、ご存じなんですか?」
クラウリーナは、マッカードのほうに身を乗り出して目を輝かせた。
「いや、父上を存じ上げていた。アラン・クリスレードは、スペリアードの内政に辣腕をふるった名公官だ。奥方の葬儀に参列したときに、まだ乳飲み子だったスコットに会ったことがある」
「彼は今、ヌーデトワールの駐在政務官で向こうに行ってるんです」
「これが?」
「もうっ」
変装して気分が昂揚しているせいか、今日のトーラスはたちが悪かった。だが、市都駅の厳重な警戒網は、彼のおかげで突破することができた。
「とりあえず、あたしの家へ」
「俺、もうちょっとこうしてようかな」
「最悪・・・」
再会を喜ぶ暇もなく、事情を察したレイラーナは二階の部屋を空けた。
「クラウリーナはともかく、ご家人にまで迷惑がかかっては」
「それを案ずるならこうして協力はしてません」
「娘の言う通りです。どうかお気になさらず」
マッカードは、深く一礼してレイラーナを見送った。
「そうだ、こうなったら父や兄達にも話して手伝ってもらうわ。新しい連邦政府が、陛下の理想と懸け離れたものになるなら、きっとあたしたちに賛成してくれるはず」
「しかし、事は慎重に運ばねばならぬ。こちらの体勢が整わぬうちに潰されては元も子もない故・・・、時にクラウリーナ、ジュゼ・ミラウ剣爵様はいずこに?」
「剣爵様はこのこと知ってるの?」
「過日にお話し申した。既にご協力を取り付けてある」
「それは心強いわ。庵に行きましょう」
「え? どこ行くって?」
風呂場から、化粧を落としてトーラスが出てきた。
「剣爵様のところよ。みんなも来て」
「そりゃいいけど、四人でぞろぞろ歩いて大丈夫か? 駅ほどじゃねえけど、市都警の連中うろうろしてるぜ。俺もう化粧落としちまったし」
「見つからなきゃいいんでしょ、簡単よ」
自信たっぷりのクラウリーナに、トーラスはとりあえず納得した。
「なるほど、そういうことか」
「毎日こうやって剣爵様のところへ修業に行ってたんだから」
「く、苦労してんだな・・・、泣けてくるぜ」
屋敷の裏から深い森を抜けて、一行は小川のほとりへ出た。
「影!」
背の高い叢の陰に、ゴーダが人影を見つけた。
「ど、どこ? 見えないわ」
「こいつ恐ろしく目がいいんだよ」
「ん、確かに、右手のちょうど、向こうに見える白い山の頂から下へ・・・」
「あ、ほんとだ、なんか動いてる」
「市都警の色じゃねえな。中軍か?」
「剣爵様に何かあったのかしら。あの辺りが庵よ」
「もしや、既に剣爵様にも監視の目が・・・」
「考えられるぜ。ジュゼ・ミラウ様は、今となっては最後の剣爵だ。イシク王と何らかの接触があったと連中が思っても不思議はねえ」
「・・・クラウリーナ、人を斬ったことはおありか?」
マッカードが、いつになく低い口調で訊いた。
「え?」
「相手が剣を抜いてくれば、間違いなく戦闘になる。人を斬る度胸はお持ちか?」
「で、でも、まだあの人達が敵と決まったわけじゃ・・・」
「誰も斬り殺せとは言ってねえよ。腕の一本、足の一本斬り付けりゃ、それだけで相手は戦意を失う。それでも抵抗してくるようなら、そのときはそのときだ。こっちも覚悟しなきゃな」
「心配無用。我、神に仕える身、故に容赦を乞うものなり」
二人の助言は、幾らか気持ちを軽くしたが、クラウリーナは腰の剣に手を置いたまま心を決めかねていた。
「私とて無用の戦闘は避けたいのだ。だが、覚悟はしておいていただきたい」
「行こうぜ。ぐずぐずしてる場合じゃねえ、剣爵様に何かあってからじゃ・・・」
庵の方を見遣ったトーラスの顔色が変わった。
「おい、誰か連行されてるぞ。相棒!」
「・・・草の陰、わからない」
「先鋒を執る! 続いてくれ」
トーラスに続いて、ゴーダも低い姿勢で駆け出した。
「ま、まさか、剣爵様が・・・」
「行くぞ、クラウリーナ。何が起こっているのか、その目で確かめるがよい」
マッカードは、駆け出し様に剣を抜いた。
「やらなければ、やられるのは己自身なのだ!」
その捨て台詞のような言葉に、クラウリーナは我に返った。
「・・・剣爵様!」
背の高い叢越しに、相手の姿が次第にはっきり浮かんでくる。クラウリーナの足は、しっかりと地面を蹴って次々と前へ踏み出していた。
「うわ、追い抜きやがった!」
両脇を兵士に抱えられている人物の姿を認めたとき、クラウリーナは剣を抜いた。
「待ちなさい!」
兵士と共に振り向いたミラウは、我が弟子の姿に驚いていた。
「ク、クラウよ、どうしてここに・・・」
「剣爵様! 大丈夫ですか!」
クラウリーナを追って三人もやってきた。
「貴様ら! その御仁を剣爵ジュゼ・ミラウと知っての狼藉か!」
「おお、マッカードよ、そなたまで」
「お前らに恨みはねえが、邪魔すると容赦しねえぜ」
トーラスは、威嚇するように頭上で槍を回した。
「我剣、活殺自在!」
ゴーダは、大剣を前へ突き出した。
「剣爵様、何があったのですか!」
「マッカードよ、後は頼む。その子らを正しき道へ導いてやってくれ」
「剣爵様!」
「わしのことは構うな、クラウ。ここから早く立ち去るのじゃ」
「しかし、剣爵様・・・」
ミラウが何と言おうと、師匠の危機を捨て置くほど不出来な弟子ではない。クラウリーナは、兵士に剣を向けた。
「今すぐその手を離しなさい! さもないと・・・」
「さもないと、どうなるのかな、お嬢さん」
上背のある身体を丸めて、公官服に身を包んだ痩身の男が現われた。
「き、貴様は、連邦軍務局長ユリアス・キュロア!」
「ほう、こんなところにいたのか。ラザン・マッカード」
キュロアは、ほくそ笑みながら集った一同を見渡した。
「これがその、貴様が集めた新しい五剣爵とやらか。少々、数が足らぬようだが」
「黙れキュロア! 私を生かしておいたのは誤算であったな。命が惜しくば剣爵様を解放せい!」
「さあ、それはどうかな」
キュロアが顎を振ると、兵士はミラウを抱えたまま歩きだした。
「待てい!」
マッカードの頭上を何かが横切った。剣の搗合う音が辺りに響いた。
「誤算と言うのなら、貴様からあの世へ送ってやろう。後は頼んだぞ、マハオよ。これで遺言状さえ手に入ればこちらの思う壷よ」
キュロアは、高らかに笑いながら去っていった。
「て、てめえは・・・」
両手に小剣を構え、不敵に笑う剣士がそこにいた。
「あ、あなたは、宮試のときの・・・」
「くそったれ、よりによってこいつが敵に回るとはな」
マハオは、ぎらついた目で頻りに牽制している。
「クラウリーナ、ここは私に任せて、早く剣爵様を!」
そのぎらついた目が、マッカードを捉えた。
「急げ!」
僅かに振り向いた隙だった。合わせようと振り下ろした剣は止められ、盾のない左手が空しく宙に浮いていた。
「マッカードさん!」
身体を折り曲げて倒れたマッカードは、広がる血の海に目を見張っていた。
「・・・くそっ、・・・ここまでか・・・」
「言いだしっぺがくたばってどうすんだよ! え、マッカードさんよ!」
「・・・す、すまん、・・・後は、た・・・頼むぞ・・・」
マハオは、大きく後ろへ間合いを取った。まるで一仕事終えたかのように、その顔は薄らと笑っていた。
「マッカードさん! あたし・・・、あたしどうしたらいいの!」
血に塗れた手が、何かを探るように宙を泳いだ。
「・・・す、進め・・・、正しき道を・・・自分の、し・・・信じた道を・・・、その魂で・・・」
最後の言葉は、まるで自分に言い聞かせるように振り絞った声だった。クラウリーナは、血塗れのその手を掴んで頬にあてた。
「・・・どうして・・・、どうしてこんなことするの・・・」
クラウリーナは、ゆっくりと立ち上がった。
「どうして・・・」
「ク、クラウリーナ、あ、あんた・・・」
確かに見た、立ち上がった彼女の目が、赤く輝いているのを。それはまるで、流れた血のように。
「せ、赤眼光か?」
迂闊にもトーラスが瞬きしたその刹那、クラウリーナの身体は相手の懐へ滑り込んでいた。
「どうして!」
悲鳴に近い叫びをあげて、クラウリーナが剣を突き出した。
負けは、即ち死である。マハオはそう教わってきた。宮試は、死のない油断が敗北の原因だと思っていたが、どうやら違うようだった。あの時と同じく眼前に迫った剣先を見て、マハオは負けを覚悟した。
「・・・お、おい、クラウリーナ」
トーラスは、愕然とした。クラウリーナが、相手に一太刀も浴びせず踵を返したのだった。
「どうした! なぜ殺らない!」
敵に背を向けて戻ってくるクラウリーナをかばうように、トーラスは呆然と立ち尽くすマハオに槍を向けた。
「なぜだ!」
この場にいた誰もが、そう思っていた。クラウリーナ自身でさえ。
「・・・ナゼ、・・・殺サナイ、俺を」
たどたどしく、時折息を整えながらマハオが話した。
「・・・オマエ、なぜ・・・、殺サナイ」
「・・・悲しすぎる、あなたの魂が・・・」
「タマシイ・・・」
「人を殺すことしか知らない、あなたの魂・・・。悲しいわ・・・」
クラウリーナは、俯いたままマッカードの骸のそばに立った。
「なに訳のわかんねえこと言ってんだ! こいつはマッカードを殺ったんだぞ!」
「だからといって、あたしが彼を殺していいってことにはならないわ!」
「理屈こいてんじゃねえよ! 憎くねえのが、こいつが!」
音がして、トーラスはマハオを見た。彼の足元には、二本の小剣が転がっていた。
「こ、こいつ? 負けを認めたってのか?」
トーラスは、ひとまず槍を収め、二人を交互に見遣った。
「・・・やっぱり、あたしに剣は・・・」
「捨テルナ!」
クラウリーナは、思わず振り向いた。
「オマエ、負けてない。・・・だから、捨テルナ、剣・・・」
「・・・剣を捨てるなって、言ってるのあたしに?」
「昔、教エラレタ、俺・・・、殺す、人・・・それだけ。・・・オマエ、違う。・・・違う」
マハオは、言い淀んで何度もかぶりを振った。
「こいつ、言葉がおかしいと思ったら、まさか異大陸の人間じゃ・・・」
「負けは、死。俺、負ケタ。・・・でも、オマエ・・・俺、殺サナイ。・・・ワカラナイ」
クラウリーナは、ゆっくりとマハオに歩み寄った。
「・・・約束、したの」
「ヤクソク?」
「剣は人を殺すためにあるんじゃないってことを、示したいの。それは、あたしにしかできないことだからって、だから剣を捨てるなって、約束したの。・・・でも」
「・・・ヤクソク、守れ。・・・俺、力に、ナリタイ」
「な、何だと!」
トーラスは、再び槍をマハオに向けた。
「力になりたい? あたしの?」
「オマエ、俺に、教エタ。・・・人を、殺サナイ、剣。・・・もっと、教エテホシイ」
「こ、こいつ、何ぬかしてやがる! 俺達の仲間殺しておいて力になりてえだと! ふざけるな!」
「フザケテナイ。・・・俺・・・」
マハオは、落ちていた小剣を一つ拾い上げた。
「下がれ! クラウ!」
マハオは、切り掛かろうとするトーラスを睨みつけると、その小剣を自分の腕にあてた。
「な、何を?」
血しぶきが、風のように鳴った。
「こ、これで、イイカ・・・」
「ば、ばかやろう!」
倒れ込むマハオを抱きかかえたトーラスは、血しぶきに目を背けながら、切り落とされた左腕を見遣った。
「も、戻るぞ、クラウ!」
クラウリーナも、失神してゴーダに抱きかかえられていた。
「ったく、どいつもこいつも!」
トーラスは、マハオから流れる血も赤いことを確かめていた。
思い出に浸っている余裕はなかった。妻を見初めたル・パフ国へ、クライス率いる特務隊は入っていた。
ゴルドレック大陸中央に位置するル・パフは、古くから東西の交易が盛んな商業国であった。故に、大戦で最も戦火を受けた国でもある。街道の宿場町や小さな町や村は次々と破壊され、現在に至ってようやく市都が復興を遂げたのみである。
戦後、連邦政府はル・パフの復興を第一に掲げた。鉄道もその一つである。鉄道開通を喜ぶ声は商人達の間でも高いが、中には市場が拡散して利益が薄まったと反発する声も少なくはなかった。ともあれ、根強い商人魂は、ル・パフの復興に大いに貢献したと言える。
連邦政府が政治や軍事に関して干渉を控えている理由も、連邦やスペリアードがル・パフの復興に全力を注いだとはいえ、戦火に巻き込まれた被害者意識が、連邦政府に対する反感となってル・パフの商人達に根付いているためである。それは、ル・パフ国が軍隊を保有していないことからも窺える。
スペリアード軍は、ここル・パフに僅か四個師団を駐留させるのみであった。スペリアード国境に旅団を配置することで部内の強行派は抑えたが、それでも数としては話にならないほど少なかった。
「鉄道建設を急いだのは戦略上の問題もあるんだ」
感心して頷くサキに、アーネスは手振りを交えながら話を続けた。
「有事の際、素早く西へ兵を送るために、鉄道を使うのさ」
「へえ、そうなんですか」
「へえって、軍人のはしくれならそれくらいわかるだろう?」
まだあどけない面影が残るサキは、アーネスの窘めに小首を傾げた。
「副長、なんとか言ってくださいよ」
話を振られて、ユーグも困った顔をしている。
「まあ、そういうことは、もっと偉くなってからでもよいのではないか」
顔の周りを覆う髭をさすりながら、ユーグは苦笑い混じりに答えた。
「何事も、誰かの利益のためにつくられているってことさ」
一人離れたところで、マリナスは携砲の整備に余念がない。
「俺は貴様がここにいるのがどうも解せなかったんだが、するとお前は自分の得のためにここにいるんだな?」
「ふっ、それはお前だろう、アーネス」
「何だと?」
「ちょ、ちょっと、やめてくださいよ。もうすぐ隊長戻ってきますよ」
ル・パフ駐留軍本部宿舎の一室に高まった緊張は、程なくほぐれた。
「確かに、人は自分の損得で行動するものだが、私は自分のためにでなく、他人のために行動する人を知っている。損得を考えずにな」
「誰ですか、副長」
「・・・もうすぐ戻って来られるお方だ」
クライスは、部下のいつもと違う視線に気づいたが、すぐに報告を始めた。
「ラザン・マッカードの手配は解除された。拘束したという報告はないが、連邦軍務局が解除を発表している。詳細は不明だ。それより、ヌーデトワールで不穏な動きがある」
「ヌーデトワールで?」
一同は一様にざわついた。
「未確認だが、連邦政府関係者が軟禁されているという情報だ。特務隊はこれより、ロガリア経由でヌーデトワールに向かう。情報収集と事実関係の確認が任務だ。何か質問は」
「本隊の動きは?」
「ミシュアードの二師団がル・パフに入る。後は適宜、国境線に向けて部隊を移動させるが、ル・パフ進駐は慎重にならざるを得ないのが現状だ。他に」
「では、任務は我が隊だけで?」サキが不安そうに訊いた。
「駐留部隊を無闇には動かせん。ヌ国駐留軍も音信不通だ。現在、ロガリア軍と我が軍のロガリア駐在部隊に支援要請を打診しているが、合流するかどうかは追って指示がある。まずは詳細な情報入手が先決だ」
「そんな重要な任務、肩の荷が重過ぎやしませんか?」
「言い忘れていたが、我が特務隊は昨日付けでスペリアード軍西部方面軍司令部直属となった。しっかり頼むぞ、マリナス」
「し、司令部直属? 給料上がるかな」
「恩給はな」アーネスがサキに釘を刺した。
「出発は明朝、それまでに各自休養を充分にとるように。今度はいつ休めるかわからんぞ。以上、解散」
「あ、あの、隊長」
サキが、恐る恐る手を挙げた。
「何だ、質問か?」
「・・・これって、戦争に、・・・なるんですか?」
「誰もそんなこと望んじゃいないさ。心配するな」
隊長のその微笑みは、信用に値した。
「地下室の居心地はいかがですかな」
「高い寝台は苦手でな。二度も落ちそうになったわ」
「そうですか。ま、そのうち慣れるでしょう」
モーゼスが監視役の兵士に下がるように合図して、ミラウは一人執務室に入った。
「さて、わしをどうするつもりだ」
「どうするつもりもない。連邦議会が終わるまでここにいてもらうだけだ。剣爵殿」
「わしの弟子達に手出しはしていまいな」
「確かに私はそう約束したが、それが徹底されているかどうかは知るところではない」
「き、貴様・・・」
「剣を持たぬお主はただの老翁、恐るるに足りぬわ。かわいい弟子なら、そのうち助けに来るのではないか。ま、楽しみに待たれよ」
「連邦軍務局長のキュロアと何を諜っておるのだ!」
執務室の机から、モーゼスはミラウを見据えている。
「・・・じきにわかることよ」
扉が叩かれ、兵士が入ってきた。
「も、申し上げます。ヌ軍の一部が武装蜂起、連邦政府関係者を人質にたてこもっております!」
「わかった。手筈通りやれと伝えよ」
「武装蜂起?」
兵士は、驚くミラウを一瞥して下がった。
「ヌ軍が蜂起したというのか。・・・信じられん」
「案ずるな剣爵殿。じきに我が連邦軍が反乱分子を鎮圧する」
「連邦軍じゃと?」
「既にスペリアード軍の国境警備部隊は、全て連邦政府が接収して連邦軍として組織してある。連邦議会ではまだ了承されておらぬが、今は緊急事態故に止むを得まい」
「・・・詭計か」
モーゼスは、にやりと笑った。
「既成事実をつくった上で、事後了承を取り付けるつもりか」
「血は流れんのだ、最善の方法だと思わぬか? ヌ軍は協力的だったがな」
「き、貴様、陛下亡き後のゴルドレックをどうしようというのだ!」
「私はただ、陛下の跡を継いで連邦制を維持しようとしているだけだ。無論、私なりにな」
モーゼスは、立ち上がって窓を見た。
「イシク王が敷いた連邦制は、あまりにも民衆に懐柔し過ぎていた。戦勝国であるはずの我が国がその負担を一手に引き受けるなどと、そんなものは真の連邦制ではない。仕掛けられた戦争に勝って、なぜ仕掛けた連中の面倒を見ねばならんのだ」
「陛下は民のことを随一に思われたのだ。スペリアードだけでなく、戦争に巻き込まれた全ての民のためをな」
「民のため? 連中に一体何ができるというのだ。惰眠を貧り、剣術に興ずる民などに何もしてやる必要はない。連中は我々指導者に従っていればいいのだ」
「自惚れるなよモーゼス。民に力がないなどと思うのはその表れ、貴様の理想はいずれ志ある民によって崩される」
「ふっ、面白い。生き延びてその時を見届けるか。・・・何のために貴殿を拘束したか教えてやろう。その民を欺くためだ」
「な、何じゃと?」
「イシク王になり代わり、最後の剣爵である貴殿が摂政となって連邦政府を引き継ぐ。誰が訝ることあろう」
「たわけ! わしがそんなことを承諾するはずがなかろう!」
「・・・もう少し利口だと思っていたが、・・・憶えておいでか、宮試決勝で貴殿のかわいい弟子と戦った男」
「あのコモン・ルオを使う剣士か」
「彼奴が私の部下であったとして、そのかわいい弟子を見張っているとすれば、いかがかな」
「き、貴様・・・、どこまでも卑怯な!」
「それまで、貴殿にはおとなしくしていてもらおう」
モーゼスは、衛兵を呼び付けた。
「ク、クラウリーナはあの剣士に勝ったのだ。それを忘れたか!」
「・・・往生際のよくないお人だ。最後にもう一つ教えてやろう。異大陸には、あのような輩が五万といて、我等ゴルドレックの民がこの地に興るずっと以前から、戦争を続けているそうだ」
「な、なんと・・・」
両脇を抱えられ、うなだれたままミラウは部屋を出た。
「・・・さて、後は任せたぞ・・・」
モーゼスは、込み上げる笑いをこらえきれなかった。
「ん?」
閉まったはずの扉が静かに開いた。
「誰だ、何か用か」
扉から現われたのは、片腕を失ったマハオだった。
「どうしたのだ、その腕は!」
マハオは、ふらふらと応接用の椅子に倒れ込んだ。
「やはり腕は確かなようだな、あの小娘。・・・クラウリーナとか言ったが」
モーゼスは、マハオの許へ駆け寄った。
「で、始末したのか?」
マハオは、苦しそうに喘ぎながら頷いた。
「よくやった。今、看護兵を呼んでやるからな。じっとしていろ」
モーゼスは、上衣の裾をマハオに引っ張られた。
「おい、離せ」
「・・・その、必要、ナイ・・・」
「何?」
扉が勢いよく開かれ、黒服の一団がなだれ込んできた。
「な、なんだ貴様らは!」
先頭の一人が、モーゼスの眼前に立ちはだかった。
「連邦法務局特別監察部だ。連邦政務局長ガルベル・モーゼス、連邦政府に対する特別背任の容疑で拘束する」
「ば、馬鹿な!」
モーゼスは、数人の係官に囲まれた。
「マ、マハオ、貴様・・・」
瞬く間に、モーゼスの身体の全ての自由が奪われた。係官に抱えられ、廊下へ出たモーゼスは愕然とした。
「かわいい弟子が助けに来てくれたぞ」
モーゼスは、その睨みつけるような微笑みに身を震わせた。
連邦法務局の職員がクラウリーナを訪ねてきたのは、マハオの傷の手当てが一段落ついた頃だった。連邦法務局特別監察部は、マッカードの告発により連邦政府部内の不穏な動きを内偵していたが、匿名の信書が届いて対象の拘束に踏み切ったという。その信書には、クラウリーナ・エルレディアに支援を求めよ、と書かれてあった。
超人的な回復をみせるマハオの手引きで即日着手され、連邦政務局長ガルベル・モーゼスら連邦政府高官を含む七名が拘束された。なお、連邦軍務局長ユリアス・キュロアにおいては、拘束の際に抵抗したためその場で密殺された。
調べに対しモーゼスは、スバストラウ統括司令長官殺害を指示したことをほのめかす供述をしているが、その他については一切黙秘を続けている。
「これで一段落ついたな」
「ルラルの神の導きに感謝」
庵に招かれたトーラス一同は、裏庭で談笑していた。
「しかし、お前ほんとに大丈夫なのか?」
マハオは、ぎこちない笑顔をしてみせた。
「・・・だい、じょうぶ」
「お前が寝返ってくれなかったら、今回の拘束もなかっただろうよ。礼を言うぜ」
「・・・マダ、早い。俺、・・・タクサン、殺した。もっと、力に、ナリタイ」
「もういいよ。そう思うようになっただけでも立派なことさ。な、クラウリーナ」
「・・・そうよ。きっとマッカードさんだって、許してくれるわ」
クラウリーナは、久しく忘れていた和やかな雰囲気に浸っていたかった。だが、心の中に何か引っ掛かるものを感じていた。それは、ミラウも同じだった。
「クラウ、取り込んでおってすっかり忘れていたのじゃが、ちょっと来い」
二人は、そっと庵の奥へ引っ込んだ。
「これを、お前に授ける」
ミラウは、鞘から剣を抜いてクラウリーナの目の前に掲げた。
「わしの旧知の職人が鍛えた、最後の剣じゃ」
「最後の?」
「この剣に限ったことではないが、物には作り上げた人々の思いが込められておる。決して無情に扱うでないぞ」
「心得ます」
クラウリーナは、ミラウから剣を授かった。細い刀身は、一様に光を反射してほんのり青みがかっている。
「剣爵様・・・、あたし、確かめに行きます」
「・・・うむ、わしも気になっておった。モーゼスはあの時、ヌーデトワールの混乱は詭計だと言っておったが、未だ収まる気配はない。詭計をなせるということは、向こうに共謀者がいるということになるが・・・」
「だから、行きます」
その瞳の輝きを見れば、ミラウに抗言の余地はなかった。
「あやつらにも、もう少し付き合ってもらおうか。なかなか骨のある連中じゃから・・・」
「いいえ、あたし一人で行きます」
ミラウは、口を強く閉じて言葉を飲み込んだ。
「・・・わかった。表から出るがよい」
クラウリーナは、少し身じろいでからミラウのほうへ向き直った。
「剣爵様、いろいろとありがとうございました」
「その言葉、帰ってから聞こう。それまで、この胸にしまっておく」
「・・・では」
以前に帯剣していたものより大きくなったにもかかわらず、感じる重さはそれほどでもない。むしろ軽いくらいだった。しかし、心にはその剣の重みがひしひしと伝わっていた。
「・・・スコット、・・・信じてる」
ヌーデトワールの混乱を受けて、ゴルドレック鉄幹軌道は北部線がル・パフまで平常運転、ル・パフ以西ロガリアまでは貨物便を除いて運行休止となっていた。
「ロガリアから船を手配するか」
聞き慣れた声に振り向くと、見慣れた三人が立っていた。
「弟子も水くせえなら師匠も水くせえぜ、ったく」
「トーラス・・・、ゴーダさんも、あなたも来てくれたの、マハオ」
「俺、力に、なる、約束した」
「お、ちゃんと話せるようになったな」
「我、神に代わりてそなたを護らん」
「おまえも少しはまともに喋れよいいかげん」
歩哨の兵士が慌ただしく行き交う中、四人は西へ向けて出発した。
兵員輸送用に仕立てられた特貨車両に騎馬ごと乗り込んで、特務隊はロガリアに入った。
「こんなとこまで来たの、初めてですよ」
町を眺めて嬉々としているサキを、誰も窘められなかった。クライスとて演習で一度訪れただけで、ロガリアの町は初めても同然だった。
ロガリア国は、ゴルドレック第三の勢力とも言われ、前大戦では攻め入るヌーデトワールに抵抗し、結果的にスペリアードを支援する形となった。軍事政権であるが、その性格は極めて民主的であり、国民の信頼を集めている。
ラフナ川が造り上げたロガリア平野に市都が置かれ、その川が注ぐルザール湾はゴルドレック屈指の漁場である。かつて盛んであった遊牧に端を発した馬術は、後にロガリア軍に優秀な騎馬隊をもたらした。
特務隊は、早速ロガリア軍中央司令本部へ赴いて、情報の収集にあたった。
「詭計? 謀反とおっしゃるので?」
情報部付の士官は、入ってきたばかりの情報をクライスに伝えた。
「そのはずなのですが、ヌ軍の蜂起は一向に鎮まる気配がなく、我が軍は独自に国境線へ部隊を派遣することを検討しています」
クライスは、再度聞き返して事の経緯を飲み込んだ。
「連邦高官が謀反を? それは誠ですか?」ユーグが酷く驚いている。
「どうやら市都で一騒動あったらしい。大事にはなっていないようだが」
「するとマッカード殿は、それに気づいておられたのでしょうか」
「それはわからんが、少なくとも疑いを抱いて行動していたに違いない」
クライスは、何か思いつめたように一点を見つめながら話していた。
「隊長、本題は他にあるんですね」
勘のいいマリナスに、クライスは僅かに微笑んだ。
「・・・今、ヌ軍が起こしている反乱は、その連邦政府高官が仕掛けた詭計との見方が強い。それならもう終熄してもおかしくないはずだ。が、依然として混乱は続いている。このままでは、蜂起したヌ軍部隊がロガリア軍や国境警備軍と衝突することもありうる」
「情報が届いていないということも考えられます。詭計が暴露されたことを知らせる必要があるのでは」
アーネスの言葉を、クライスは手振りで遮った。
「ヌーデトワールで詭計を企てるには、協力者もしくは共謀者が必要だ。少なくともヌ軍や国境警備軍、連邦政府関係者の誰かの協力が必要となる。確かに、詭計が暴露されたことを知らせばヌ軍は撤退するかもしれない。だが、そのヌ軍がこの状況を利用していたとしたら・・・」
「どういう、ことですか?」
「・・・ヌ軍がその共謀者に扇動され、本気で仕掛けてきているのではないかという可能性だ」
「そ、そんな! 隊長は、もう戦争は起こらないと!」サキが声を荒げた。
「陛下は今病床におられる。もし陛下が崩御されるようなことがあれば、連邦加盟国がその覇権を巡って混乱することは必至だ。その隙に乗じて、各国が一斉に蜂起する可能性がないわけではない。特に、圧政を強いられてきたヌーデトワールはな」
「隊長のおっしゃる通りだ、サキ。陛下の優れた政治手腕の陰にも、やはり欝積したものを皆が持ち続けていたということだ。それがいつ暴発するか、いや、もうそのときが来ているのかもしれん」
サキは、諦めきれない様子で何度もかぶりを振った。
「いずれにしても、直接赴いて確かめる必要がある。ヌーデトワールで何が起こっているのか・・・」
「しかし隊長、いくら任務とはいえ、これは危険です。もう少し様子を見ましょう」
「待ってどうなるものでもない。一刻も早く状況を解明することが先決だ。師団規模の軍隊を大挙させるより、我々のような小部隊のほうが動きやすい」
アーネスの進言は一蹴された。
「・・・これも何かの巡り合わせかもしれん・・・」
その呟きを、一同は怪訝そうに聞き取った。
「・・・軟禁されている在ヌーデトワール連邦政務官、スコット・クリスレードは、・・・俺の親友だ。・・・俺は、奴を信じたい」
今のクライスは特務隊隊長ではなく、友を思うただの若者であった。
「信じられないわ、あたし海の上にいるのね!」
ロガリア海軍が誇る最新鋭の軍船を私用に使えるのは、トーラスがロガリア軍総司令長官の息子であることを如実に証明していた。
鉄道の動力車にも用いられている噴気動力炉を機関部に備え、左右両舷に六門、前後甲板上に四門、計十門の砲架を備える。小型ではあるが軍事行動可能な軍船である。海上戦力はロガリアの独壇場であり、スペリアード軍も海上警備に関してはロガリア海軍に委託しているのが現状である。
海に囲まれているゴルドレック大陸だが、穏やかな南海洋に比べて、大北海は海流が激しく複雑で、四季を通じて波も高い。連邦法で、大北海の船舶による航行を原則禁止としているほどだ。
「ね、あの旗なあに?」
艦橋上部に、馬具を抽象化したロガリア国旗と白旗がたなびいている。
「ロガリアの国旗だ」
「その下」
「このままヌーデトワールに接近したら、沿岸から砲撃されるだろ。攻撃の意志はありませんって意味だ」
トーラスは、面倒臭そうに説明しながら頻りに顎をさすっている。
「どうかしたの?」
クラウリーナが顔を覗きこむと同時に、トーラスは顔を逸らした。
「なんでもねえよ」
軍艦使用の代価は歯二本。安いものである。
「マハオ、この航路でいいのか」
艦橋からマハオが大きく丸を出している。
「ね、ゴーダさんは?」
「うちの相棒、船だめなんだとよ」
甲板の下から波音に混じって微かに聞こえていたのは、ゴーダの呻き声のようだ。
「修業が足りんぜ」
トーラスは、父親にぶん殴られた顎をさすりながら、クラウリーナの横顔を盗み見た。
「なあ、会ってどうするんだ」
「え? 何?」
クラウリーナは、遠慮なく聞き返してきた。トーラスは、柵にもたれているクラウリーナの隣にやってきた。
「会ってどうするんだ、その男に」
クラウリーナは、真っすぐ水平線を見つめたまま微笑んだ。
「どうしようかな。どうしたらいい?」
「それを訊いてるんだろうが」
はぐらかされた返事に、トーラスは少し頭にきた。
「珍しいな、あんたがふざけるなんて」
トーラスは、柵に背中を預けて艦橋を見上げた。
「・・・このまま船が進んでも、陸なんかないの。ずーっと海で、ずーっとこんな風が吹いてて、ずーっと空も青いの」
「あん?」
「そうだったら、どんなにいいかって・・・」
頬を伝う涙が、風に飛ばされるのをトーラスは垣間見た。
「マハオ、なんか見えるかー」
気を利かせたトーラスに、クラウリーナは心の中で感謝した。
市都は、いつもと変わらず平静を保っていた。少なくとも窓から見える町はそうだった。
「部隊配置がほぼ終了したそうでございます」
「・・・そうか」
「お茶はいかがですか?」
「・・・ああ、頼む」
香ばしい湯気が鼻先をかすめた。
「・・・戦闘は避けるように徹底してくれ。間違ってもこちらから仕掛けるんじゃない。もしかすると・・・、いや、なんでもない」
「沿岸を陸路越境する部隊を確認したとの報告がありました。四騎の小部隊だそうです」
「そうか。・・・やはり来たか」
スコットは、身を乗り出していた。
「馬を用意してくれ。港へ出る」
「承知しました」
スコットは、茶器に一口付けてから部屋を出た。
港に到着した頃、陽は挑戦的なまでに全てを見下ろしていた。ヌーデトワール軍の管理官や行政府高官も姿を見せていた。
「スペリアードから特使が来る」
「は? そのような話は聞いておりませんが」
「貴様に話を通す必要もなかろう」
管理官は、口惜しそうに向き直った。
「手を出すなよ。特使にもし何かあれば、スペリアード軍五十万の兵士が再びこの地を焼き尽くす」
「せ、政務官殿は、我がヌーデトワールのためを思っておられたのでは?」
「道はいくつでもあるということだ。出迎えの隊を出せるか」
管理官は、小走りに近くの歩哨の兵士に呼びかけた。
「ど、どういうことですか、隊長」
クライスは、一頻りその騎兵を眺めた。帯剣していることを疑ったところで、明らかに騎兵に戦いの意志はない。
「案内していただけると言うのだな」
「いかにも」
クライスは、隊の一同に目配せをした。
「お願い申す」
騎兵は、先鋒を執って山道を駆け始めた。
「続け!」
クライスは、いつの間にか確信していた。出迎えをよこしたのはスコットだと。
「・・・スコット、俺は・・・」
カカコルフの峠から、あの特異な町並みが見え出した。
「そろそろ気づいてもいいはずなんだがな・・・」
トーラスは甲板で逡巡している。とうに陸地は見え、港の人影の動くのがわかるまでに接近していた。
「マハオ、機関停止、錨下ろせー。わかるかー?」
ややあって、大きな丸が出た。
「なぜ停まるの? もうすぐなのに」
「向こうから合図があるんだ。合図というか、警告だな。貴船は我が国の沿岸に接近しています、寄港の意志を示されるか、あるいは速やかに離岸しなさい、ってな」
「それに答えないと行けないの?」
「こっちは軍船だぜ、いくら白旗掲げてても向こうにしてみりゃ、すわ敵襲だ、としか見えねえよ」
トーラスは、目の上に手を翳して様子を見た。
「待つしかねえな」
船が停まったので、甲板にゴーダがふらふらと現われた。
「つ、着いたか・・・」
「お、相棒ちょうどよかった。港がどうなってるか見てくんねえか」
ゴーダは、ふらつきながら柵に寄り掛かった。
「・・・兵士、大勢。・・・何か、待ってる・・・」
「待ってる? 兵士がいっぱい集まってるのか?」
「何かしら。誰か来るのかな」
「・・・しょうがねえ、白旗振ってゆっくり接近しよう。マハオー、錨上げろー。機関始動、微速前進だー」トーラスは艦橋に向かった。
クラウリーナは、柵から目一杯身を乗り出して港のほうを凝視した。
「・・・誰を待ってるのかな・・・」
それが自分でないことはわかっていたが、微かな期待は消えそうになかった。
「ん、船だな」
「い、いつの間に」
スコットは、慌てて岸壁へ駆け出そうとする管理官を呼び止めた。
「しばらく沖合で錨を下ろさせておけ」
「政務官、あれはロガリアの軍船ですよ」
「白旗が見えんのか。一隻でどうしようというのだ。捨て置けばいい」
スコットが再び街道のほうを見遣ると、蹄が蹴散らす土煙が見えていた。
「・・・来たか、クライス」
やがて四騎の騎馬が現われ、港の入り口で歩を止めた。
「ここで待機だ。何があっても剣は抜くな。いいな」
クライスは部下に念を押すと、下馬して歩きだした。二人の男は、ゆっくりと互いの距離を縮めていった。
「・・・北部線が全線開通すれば、もう少し早く来れたろうな」
「・・・ああ、俺達だけじゃなく、二個大隊も一緒にな」
「錨を下ろして、その場で停留せよ、か・・・」
港で振られる手旗がはっきり見えるまで、船は岸壁に近づいていた。
「マハオー、機関停止だ。錨下ろせー。相棒、もう旗いいぜ」
ゴーダは、肩で息をしながらまた船室に引っ込んだ。
「・・・ねえ、誰かいる」
「いるよ、兵士が大勢」
「・・・あれ、クライス兄さんかも・・・」
「あんたの一番上の兄貴か? どこに」
クラウリーナは、岸壁の一点を指差した。
「誰かと話してるみたいだな」
大きく息を吸う音がしたかと思うと、クラウリーナは艦橋を見上げた。
「マハオ、あっち行って! 全速前進!」
「こ、こら、指示に従わないと砲撃されるぞ」
「スコットよ、もう一人は!」
「え? 何だって?」
「話してるのクライス兄さんとスコットなのよ!」
「さあ、わかるように説明してくれ、スコット。お前にはその義務がある」
「そうだな・・・、何から話そう」
「・・・では俺から質問しよう。ヌ軍に侵攻の意志はあるのか」
「今はない」
「今とはどういう意味だ」
「俺の知る限りでは、という意味だ」
「侵攻の意志がないなら、なぜ撤収しない」
「俺は司令官じゃない。俺に言うな」
「ヌ軍の最高意志決定権は在ヌ連邦政務官、つまりスコットお前にある。忘れたとは言わせないぞ」
「では決定しよう。ヌ軍は、自国の行政自治権の回復を連邦政府に申し入れる。それが聞き入れられるまで、国境線の部隊は撤収しない」
「ち、血迷ったか、スコット!」
「イシク王が亡くなった今となっては、連邦政府は崩壊寸前だ」
「陛下が、亡くなられただと?」
「おや、知らなかったのか。とっくに知っているものと思っていたが」
「連邦政府が崩壊寸前とはどういうことだ」
「ゴルドレックの連邦制は、陛下の一存で保たれていたようなものだ。戦争に勝ったのなら、堂々とこの大陸を支配すればいいものを、民衆の顔色を窺って連邦制を敷いた。その陛下がこの世からいなくなったのだ。連邦が崩壊するのは必然だ」
「何を言うか、連邦制こそ、このゴルドレックを治めるために必要な・・・」
「そう言い切れるのか、クライス。現にその連邦制を利用して、一部の連邦政府高官が謀反を起こしているのだ」
「そ、それではやはり・・・」
「イシク王亡き後、必ず大陸は混乱する。そしてまた、どこかで戦火があがる。それを防ぐには、各国の軍事的均衡を保つ以外に方法はない」
「し、しかしそれではまた戦争に・・・」
「同じことだ。どの道を通っても戦争は避けられん。今の我々にできることは、その戦争を早く終わらせるようにすることなのだ」
クライスは、唇を切れるほどに噛みしめた。
「・・・クライス、ここはな、母さんの故郷なんだ。ロベルトが重い口を開いてくれた。俺は知らずしてこのヌーデトワールに来たが、もしかすると母さんが呼んでいたのかもしれん」
「スコット・・・、俺は軍人として、目の前にある危機を回避させなければならない。軍を撤収してくれ」
「先刻も言っただろう、力には力しかないのだ。次の連邦会議で俺の発言が受け入れられるまで、軍は撤収しない」
「・・・俺の頼みでもか」
「尚更だ。お前がそんな嘆きを聞き入れられて喜ぶ人間とは思いたくない。お互いどんな立場であろうと、俺はお前を・・・」
「言うな! スコット!」
クライスは、剣を抜いて間合いを取った。
「手を出すな!」
スコットは、周りにいる兵士に一喝した。
「抜け、スコット! 力には力と言うなら、その剣を抜け!」
「クライス・・・」
二人が、周りの騒ぎにようやく気づいた頃、岸壁に一隻の船が近づいていた。
「やめて! 二人ともやめて!」
「ク、クラウ?」
「ま、まさか・・・」
防波堤に乗り上げた軍船から飛び出して来たのは、紛れもなくクラウリーナだった。
「どうして? どうしてなの?」
クラウリーナは、瞬く間に兵士に取り囲まれた。
「おい、下がれ! その女子に触れるな!」
スコットの命令に、兵士は躊躇しながらも下がった。
「クライス兄さん、やめて! そんな兄さん見たくない!」
「クラウ・・・」
クライスは、構えていた剣を下ろした。
「あたしには難しいことわからないけど、二人が戦うところなんて見たくない! 二人とも失いたくないの! ずっと近くにいて欲しいの!」
クライスは、座り込んで泣きじゃくっているクラウリーナの許へ歩み寄った。
「・・・スコット、今は剣を収める。だが、いずれ雌雄を決する時が来るだろう。そのときは・・・」
「容赦しない。・・・わかっているさ、クライス」
スコットは、軍船から降りてくる一団に目を奪われていた。
「総員、この場から撤収する!」
号令をかけたあと、スコットはマハオの許へ近づいた。
「(・・・その腕、誰に捧げた)」
「(あのお方だ。この私に活剣を教えてくれた。人を活かす剣を)」
「(そうか。・・・大事にな)」
トーラスは、意味不明な言葉らしきものに呆気にとられた。
「あ、あんたがスコットさんか」
「船が壊れているなら、直させよう。港湾事務局まで来てくれ」
「え? あ、ああ、ありがとうよ」
立ち去ったスコットに、トーラスはばつが悪そうに顎を掻いた。
「・・・まいったな、いい男じゃねえか」
クライスの許に、特務隊の面々が駆け付けた。
「隊長、大丈夫ですか!」
「よいのですか、あれで」スコットが立ち去ったほうを見てユーグが言った。
「・・・そう思いたい」
クライスは、剣を鞘に収めた。
「みんな、自分が正しいと思いたいんだ。俺も、奴も・・・」
涙に濡れた瞳で、クラウリーナは立ち上がった。
「帰ろう。みんな待ってるよ」
クライスは、赤く目を腫らしたクラウリーナを抱き寄せた。
「ああ、帰ろう」
「・・・あの男、マハオに似ていたような」
「異大陸の人間から我々を見ても、きっと同じことを思うでしょう」
「なるほど、左様ですか」
「それに、異大陸にはあのような輩が日々戦争を繰り返していると聞きます。人が人を創りだしているという噂もあるほどです」
「・・・この大陸も、そうなりますかな」
「これでよいのですね、ダイストー殿」
「はい。連邦の崩壊は、陛下が最も望んでおられたこと故・・・」
残り少ない余生を過ごすのに、この西の僻地は最適であった。
「陛下が戦後のゴルドレックを誤った道へ進めた苦悩、誰にもわかりますまい・・・」
まだ暖かい南風が、香ばしい湯気をくゆらせた。
「ちっ、次から次へと虫みたいにわいて来やがるぜ」
両手に小剣を持った一団は、瞬く間に退路を塞いだ。
「相棒、一丁お見舞いしてやれ!」
「うおおおっ!」
水平に振り抜いた大剣に、幾人かの兵士は身体を奇妙に折り曲げられながら壁に潰れた。
「き、きりがねえ。クラウ、後退だ!」
振り向いたトーラスは、目を疑った。クラウリーナの周りは確かに兵士が取り囲んでいるのだが、誰一人として刃向かう者はなく、その歩みのままに任せていた。
「な、なんだ?」
「・・・マハオの魂、宿れり。故に刃向かうこと能わざるなり」
「なるほど、そういうことか」
小剣を持った兵士達は、クラウリーナに同志の姿を見出していたのだった。
「人間、あんまり複雑にできてるのもよくねえんだな。俺みたいに単純なほうが・・・」
通路の向こうから更に、今度は重装した兵士が群れをなしてやってきた。
「くそったれ、どれだけの兵士がいるんだ!」
「あたしに任せて」
トーラスは、そばに来ていたクラウリーナを思わず見遣った。衣甲の類は傷一つなく、剣は薄らと青みがかった光を放っている。とてもこれまでに幾百もの敵を倒してきたとは思えないほど、その姿は清らかであった。
「あ、ああ・・・」
クラウリーナは、柔らかな微笑みをくれて先頭に立った。
「命が惜しくばここから立ち去れよ。さもなくばその命、このクラウリーナ・エルレディアが貰い受ける!」
父は、内政を重んじるあまり連邦制を暗に批判した。そのことが連邦政府首脳の逆鱗に触れ、謀殺されてしまったのだと、侍従長は話していた。その連邦制は皮肉にも崩壊し、父の正しさを息子が証明しようとしている。
「しかし、これでよかったのだろうか。大陸を再び地獄のような戦禍に巻き込み、それでも父の無念を晴らそうという・・・、これでよいのか・・・」
そして君主は、やがて訪れる刺客を心待ちにしていた。
「早く来い、クラウリーナ。そして私を導いてくれ・・・」
「・・・誰が答えを出すのか、それとも、答えなど永遠に見つからぬのか。・・・人間とは儚いものよのう」
遠く立ち上る煙に、老翁は目を細めた。
「とうとうこのわしも、答えを見つけられずじまいじゃな・・・」
轟く砲声も、もう届かない。
「じゃがジュラスよ、わしは後悔などしてはおらん。これで充分だと思っている。その分だけ、わしはおぬしより幸せなのかのう・・・」
老翁が最後に想ったのは、遠く異国の地で戦う弟子の姿であった。
「・・・クラウリーナよ、お前はどうだ・・・」
今でも信じている。信じているからこそ、クラウリーナは戦火をくぐり抜けて来られた。愛する人の言葉を胸に。
信じているからこそ、その言葉をもう一度確かめに、クラウリーナはやってきた。
「・・・来たか、来てくれたのか」
「スコット・・・」
クラウリーナは、剣を構えた。
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