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クラウリーナ・エルレディア 第二章

 主役は意外と暇なものだと、クラウリーナは思った。忙しいのはむしろ周りで、母レイラーナは額に薄らと汗さえ滲ませながら、着せ替え人形と化したクラウリーナの衣装見立てに余念がない。
「おかしいわね、この前と違うわ。あんたまた肥ったの?」
「また、なんで言わないでよ、母さん。肥ったんじゃないわ、育っただけよ」
 白い身衣一つになったクラウリーナは、衣擦れでむず痒くなった両腕をさすった。
「それにしても・・・」
 もう愚痴も出ないほど、レイラーナは躍起になって箪笥と縫い台の間を行き来している。寝台にはいくつも衣装が並べられ、袖を通す度に溜息を漏らす。
「あの青いのがいい」
「あれはまだ早いわよ」
 何が早いのかわからなかったが、クラウリーナは不満そうに暖炉の前に立った。
「おねえちゃーん」
 扉の隙間を小さな身体でこじ開けて、ロブス・エルレディアが部屋に入ってきた。
「ロブス、だめよ入ってきちゃ」
「わーい」
 聞き耳などあったものではなく、やんちゃ坊主はレイラーナ以上にクラウリーナの周りを走り始めた。
「ロブス、大人しくしなさい。おばあちゃんも怒ってるわよ」
 だが母はそれどころではなく、ロブスが入ってきたことなど知らないように衣装の手直しに懸命である。
「わーいわーい」
 着包みのような赤い身衣のロブスが、走り回って勝手にこけるまでそう長くはかからなかった。
「うわーん!」
「ほらもうっ」クラウリーナは、そそくさとロブスを抱き上げた。「泣くんじゃないの。男の子でしょ」
 けたたましい泣き声に、レイラーナはようやく気づいたようだった。
「クライス! ロブスの面倒代わりに見ててって言ったでしょ!」
 他の女性陣は、厨房で食事の準備に忙殺されている。レイラーナの欝積したものは、呑気な男性陣に向けられた。
「ロブス、ここにいたのか」
 好きで呑気にしているわけではなく、ただすることがないだけだったが、久しぶりのゆっくりとした時間をクライスは楽しんでいた。
「ちゃんと見ててよ、クライス兄さん。こっちは忙しいんだから」
「ああ、わかったよ。おいでロブス」
 クライスは、扉口でクラウリーナから息子を抱き取った。
「さ、クラウリーナ、時間がないわ」
 クラウリーナは、薄青い衣装を広げて待っているレイラーナのところへ向かった。
「・・・ちょっと、クライス兄さん。早く出ていってよ着替えるんだから」
 クライスは、言われるまで気づかなかった。「あ、ああ、すまん」扉を閉めると、いつの間にか泣き疲れて眠ってしまった我が子を抱いて、下の居間へ向かった。
「あいつ・・・、いつまでも子供だと思っていたが・・・」
 クラウリーナの、白い身衣から覗く四肢や身体の線は、もうすっかり大人の女性のそれであったことに、クライスは深い感慨を受けていた。
 玄関広間から続く右手の大広間は、会食用の食卓や調度品が運び込まれ、既に準備は整っている。仕事が終わって居場所のない男性陣が、暇を持て余してたむろしていた。
「デュラス、いい加減その顰めっ面をやめないか」
 事情はもう何度も訊いたが、クライスもミラウがそんなに強い弟子を取ったなどという話は知らなかった。
「俺は悔しいんだよ、兄さん」
「お前がそう容易く負けたなどと、俺も俄には信じがたいが、そういつまでも腐っていては父上にどやされるぞ」
 クライスは、ロブスを隅の長椅子に寝かせると、デュラスの隣に座った。
「で、父上は?」
「今朝からずっと剣爵様のところだよ」
 サークスが、長椅子の上で暇そうに手足をぶらぶらさせている。
「お前も知らなかったのか?」
「何が?」
「デュラスを負かした件の剣士だ」
「僕が知ってるわけないよ」
「ん・・・、あとでスコットにでも訊いてみるか」
 その名を聞いた途端、サークスの顔が明るくなった。
「あれ、スコットさん帰って来てるの?」
「そうか、言ってなかったな。実は昨日ここへ寄ってもらうつもりだったんだが、連邦政務局から呼び出しがあってな」
「じゃ今夜来るんだね?」
「ああ、スコットはそのつもりでわざわざ帰ってきたんだ」
「クラウの奴、知ったら喜ぶだろうな」
「お前も、昔スコットによく遊んでもらってたな」
「僕が兄さん達みたいなラシーヌじゃなくて、ブラウを選んだのも、スコットさんの影響なんだ」
「ほう、そうだったのか。知らなかったな」
「クラウもそうなんだ」
「クラウ?」
 サークスの顔から、血の気が引いていった。
「サークス、クラウがブラウを選んだ、ってどういう・・・」
「デュラス兄さん、い、いつまでも腐ってないで、僕と手合わせしてよ」
「おいサークス」
 サークスは、デュラスの背中を押してそそくさと居間を出ていった。むずかるロブスに、クライスは足を止められた。
「・・・何を言ってるんだあいつは・・・」
 サークスの意味不明な言葉も、すぐにどこかへ消えていった。クライスは、連絡のないスコットのほうが心配だった。無断ではないが、私用で休暇を取って駐在地を離れたことが、何か職務規定にでも引っ掛かったのだろうか。
 今のクラウリーナに会えば、スコットも驚くに違いない。スコットなら、と思い始めている自分に、クライスはかぶりを振った。

「どうか、お願いでございます、剣爵様!」
 バルバロスの額は、先刻から裏庭の土に押しつけられたままだった。
「ええい、いい加減頭を上げぬか」
「いえ、今一度、今一度かの剣士殿にお目にかかるまで、例え陽が暮れようと雪が積もろうと、この場を動くつもりはありませぬ!」
 縁側で腕組みをしたまま、ミラウはなす術もなくただ立ち尽くしていた。
(・・・まずいのう、これではかえって逆効果じゃ・・・…)
「何卒、お願い致します!」
 裏庭で請うバルバロスの身体は、地面の中へ潜り込まんばかりにひれ伏していた。
「・・・わかった。わかったから頭を上げよ」
「で、では剣爵様・・・」バルバロスの額から、ぱらぱらと土塊が落ちた。
「だがもう剣術宮試まで幾許もない。故に直接引き合わせることは叶わぬ。宮試にて、その全てをお見せしよう」
「全て、とおっしゃいますと・・・」
「もうこれ以上は何も申さぬ。早々に引き取られよ」
「はっ、数々のご無礼平にご容赦のほどを。ではまた今宵、お待ち申し上げております」
「ん? ああ、そうじゃった、クラウリーナの誕生祝いじゃったな。伺わせていただく」
 薄らと笑みさえ浮かべたバルバロスを見送って、ミラウは深い溜息をついた。
「・・・剣爵というのは、やはり剣術以外は能が無いわい・・・」
 ミラウが裏庭に背を向けたとき、バルバロスとは違う異質の気配があった。ミラウは、懐の掌剣を握り締めた。
「・・・いつ帰った、スコットよ」
 裏門の垣根の間から、スコットがかぶりを振りながら立ち上がった。
「さすがはお師匠、背中でお見通しとは」
「ぬかせ、帰ってくるなら便りくらいよこさんか」
 スコットは、裏庭を横切ると縁側の下で跪いた。
「ごぶさたしております」
「うむ、確か任期は春までと聞き及んでおったが」
「私用にて、五年分の休暇を取らせていただきました」
「ほう、モーゼス殿が許可したのか」
「いえ、先程まで、その件で呼び出されておりました次第で」
「ふん、貴様も剛毅になったものよ」
 手が掛かる弟子ほどよく育つというが、ミラウにとってスコットほど手の焼ける弟子はいなかった。本来ならば、剣伯の位称を与えられるほどの腕前だが、スコットは自分が人を教導するほどの器でないとして返上していた。
「時にお師匠、バルバロス殿がおっしゃっていた剣士というのは?」
「聞いておったか。・・・おぬしには言いにくいが、わしに剣爵継承を決めさせたほどの腕前じゃ。いや、というより、資質じゃな。剣の腕はまだそれほどでもないが、後々このわしを超えるほどの剣士に育つであろう」
「それほどに・・・。で、この私にはご紹介下さらぬので?」
「・・・ま、いずれわかることじゃ、そう急くでない。それより、ちょうどよい、その件でおぬしに頼み事があるのじゃが」
 昔から謀の好きな師弟であった。

 寝台の壁に、赤く細長い光が差し込んでいる。その光を避けるように、クラウリーナはそっと寝台の端に腰掛けていた。
「ふう・・・」
 頭の上には、透明な玉石を施した弓なりの髪飾りが乗っている。上目遣いでその様子を伺いながら、クラウリーナは立ち上がった。
 水のような薄青い色をした身衣は、腰から裾にかけて大きく膨らむように広がり、銀色に輝く首飾りが揺れる胸元は大きく開いて、息をするたびに鎖骨の線が顕になる。白い手袋は、二の腕からしなやかに指先を包む。
 階下の喧騒が伝わってくる。クラウリーナは、窓の側へ近寄った。傾いた陽光が目を貫き、首を振って逸らした弾みで髪飾りが落ちた。
「あっ・・・、もう・・・」
 身を屈めて取ろうとしたとき、扉を叩く音がした。
「入っていい? クラウ」
「誰? ローリア?」
 額に薄らと汗を滲ませ、ローリアはどことなく苦しそうだった。
「どうしたの?」クラウリーナは、ローリアの許へ駆け寄って彼女を支えた。「大丈夫?」
「ごめんね、ちょっと・・・、一緒にお祝いできそうにないみたい」
「だったら、部屋で休んでないと」
 新しい生命は、その時を待ち切れないようにローリアを急かしている。
「ううん、少し、・・・少しだけ、クラウの晴れ姿が見たくて」
 二人は、寝台に腰掛けた。
「あれ? ないわよ、髪飾り」
「あ、先刻落としたんだった」ローリアに言われて、クラウリーナは落とした髪飾りを拾いにいった。
「だめよ、今夜はおしとやかにしてなきゃ。貸して、着けてあげる」
 クラウリーナは、髪飾りを渡してローリアの目の前でしゃがんだ。
「髪切らなきゃ、もっといろいろできたのに」
「いいの、あたしはこれで」
「はいはい、つべこべ言わない約束だったわね」
 ローリアは、慎重に位置を見定めて髪飾りを施した。
「これでいいわ。ねえ、ちょっと立ってみて」
 クラウリーナは、言われるままに立ち上がった。
「なんか、恥ずかしいな」
「ほら、ちゃんと立って」
 はにかみながら口を真一文字に結んで、クラウリーナはもどかしそうに目をしばたたかせた。
「・・・素敵だわ、クラウ。やっぱり女の子ね」
「それって喜んでいいの?」
「もちろんよ。ああ、楽しみだわ、結婚式はどうなるのかしら」
「結婚?」
「そうよ。結婚式のときは、もっともっと着飾るのよ」
「もっともっと・・・か」
 クラウリーナは、浮かない顔をしてローリアの隣に腰掛けた。
「どうしたの、クラウ?」
「・・・ねえローリア、・・・結婚って、しなきゃだめなの?」
「しなきゃだめ、って、好きな人くらいいるでしょ?」
「女の子って、結婚して、料理つくって、お裁縫して、ずっと家にいなきゃだめなの?」
「ど、どうしたのよ、急に」
「兄さん達みたいに、外で剣を持って戦っちゃだめなの?」
「クラウリーナ・・・」
 潤んだ目を隠すように、クラウリーナは横を向いた。
「・・・だめじゃないわ。だめじゃないけど、・・・女にはね、大事な役目があるの」
 ローリアは、クラウリーナの手を取って自分の腹に当てた。
「赤ちゃんは、女にしか産めないの。生命を育む女が、生命を奪う剣を持つのは、いけないと思うの」
「ローリア・・・」
 クラウリーナは、両の目を大きく開いてローリアを見た。
「・・・だったら、あたし結婚なんかしない。誰も好きにならない」
「一体どうし・・・、まさかクラウ、あなた・・・」
「ええ、剣爵様に弟子入りしたわ。宮試にも出るつもり」
「け、剣爵様のところへ? じゃこの前の仮面の剣士って・・・」
「そうよ、デュラス兄さんを負かしたのは、あたしよ」
「そ、そんな・・・、あなたが剣を・・・」
「あたしにも、エルレディア家の血は流れているわ。あたしも兄さん達のように、剣を持ちたいの。ねえ、ローリアならわかってくれる? あたしの気持ち」
「わ、わかるけどクラウ・・・、まさかあなたがそれほど強いなんて・・・、も、もちろんお父さまには」
「内緒よ。知ってるのはサークスと、剣爵様だけ。父さんになんか、口が裂けたって言えないわこんなこと」
「そ、そうよね・・・」
 ローリアは、息を整えて額に滲んだ汗を拭った。
「でもね、クラウ、もしあなたが誰かを好きになったら、きっと気持ちは・・・」
「変わらないわ。変わらない・・・」
「そう・・・。あなたの気持ちはわかるけど、・・・あたしは何もしてあげられないわ。ごめんなさい」
「ううん、いいの別に。ローリアはローリア、かわいい赤ちゃんを産んでね」
「ええ・・・」
 ローリアは、ようやくぎこちない笑顔を見せた。
「ねえ、ほんとに好きな人いないの?」
「え? ・・・前はいたけど、きっと忘れてるわ、あたしのことなんか」
 クラウリーナの肩に手を回すと、ローリアはそっと抱きしめた。
「クラウに赤ちゃんができたら、きっとかわいいでしょうね。・・・あたしは見たいわ」
「・・・ごめんね、ローリア」
 廊下をどたどたと走る音がして、荒々しく扉が開いた。
「クラウ、そろそろ下りてこいって。みんな待ってるよ」
 高等教導所の黒い制服に身を包んだサークスが、無遠慮に覗きこんだ。
「もうっ、入るときは合図してって言ってるでしょっ!」
 しばらくクラウリーナの姿を眺めていたサークスは、我に返ったように身じろぐと歩み寄って耳打ちした。
「・・・嘘? 来てるの?」
「いるよ。わざわざ帰ってきたんだって」
「憶えててくれてたんだ、約束・・・」
 その満面の笑顔に、ローリアは少し安心した。それ以上の笑顔を見られないのが、とても残念だった。

 天井高くまで喧騒が響いている。星の数ほどあろうかという燭台の明かりは、その喧騒に揺らめきながら煌煌と宴を照らしている。玄関広間は、落ち着いた緑や青の礼装姿の武官や、鮮やかな色合いの身衣を纏った婦人で溢れ返っていた。
「おお、おお、大儀なことよ」
 玄関の扉を潜った瞬間、ミラウは改めて父が娘を思う気持ちの大きさを知らされた。
「・・・すごいですね、剣術のお歴々方がこんなにも・・・」
 後ろに続いていたスコットも、驚いた様子で囁いた。
「これは剣爵様、ご健勝のほどはいかがでございますか?」
 ミラウのすぐ前にいたのは、スペリアード軍剣術幕僚長グラン・ストルーブ、スペリアード軍剣術教導の最高権威者であり、コモン・ラシーヌ剣爵位後継者でもある。他にも、中部方面軍付の剣術教導官や師団司令官などが夫人同伴でひしめきあっていた。
「確か、クラウリーナの誕生祝いだったはずですが」スコットは、少し皮肉を込めて言った。
「お前も、所帯を持って子をなせばわかることよ」
 踊り場から左右に分れて頭上に至る階段は、今夜の主役の登場を心待ちにしているだろう。
「・・・なるほど、スコット、あれを見い」
 ミラウは、玄関広間から続く大広間の扉の一つを指した。そこには、そのお歴々方の息子と思しき若輩の一団が控えていた。
「これはなかなか、厳しい争いになりそうじゃわい」
 スコットは、怪訝そうに酒器を受け取って宴席に紛れた。
「おい、こっちだ」
 それはこの席にふさわしくない粗雑な言葉であったが、スコットはすぐに振り向いた。大きな扉を背にして、酒器を片手に軍装姿のクライスがそこにいた。
「まずいのか? やっぱり」
「いや、そんなことはない。急に休暇を取ったもんだから、局長が面食らってるだけだ。勝手にうろうろするなと、釘は刺されたがな」
「そうか、ならいいんだが。お前も、ル・パフの商務官のように命を狙われないとも限らん。なにせ連邦政務官殿だからな」
「今日は違う。今日はただの剣将だ」
 スコットの衣装は、濃紺の堅苦しい公官服ではなく、衣甲に見立てた角布を腰や肩に縫い付けた、コモン・ブラウの俊敏な動きを彷彿とさせるような躍動感のあるものだった。
「ところで、父上様は? 挨拶がまだなんだが」
「今日はだめだろうな、もうかなり酒も入ってるし。今、二階へクラウを迎えにいってる」
「そうか、なら日を改めよう」スコットは、笑って肩をすくめた。「しかし盛大だな」
「ああ、十八の誕生日だから、いろいろと父も考えているようだ」
「あれか?」
 スコットは、かの若輩の一団を指した。
「どうだ、お前もあの中に入るか」
「ふん、冗談だろ」
「スコット、お前もそろそろ、身を固めたほうが、いい歳なんだから」
「俺は俺でやらせてもらうさ。便乗する気はないよ」
「・・・まんざら、冗談でもないんだがな」
 場内からどよめきが沸き起こった。スコットは、クライスのその言葉の意味を推し量ることもなく、階段のほうを見遣った。
 バルバロスは、遠目に見てもかなり顔が赤かったが、足取りはしっかりしていた。クラウリーナは、神妙な面持ちで赤い唇をきゅっと結んでいた。
「・・・なあクライス」
「ん?」
「・・・誰だ、あれ?」
「な、何言ってんだよ、お前もう酔ったのか? クラウだよ、クラウリーナだよ」
 父に付き添われたクラウリーナが階段を下り切って、喧騒の中に巻き込まれても、スコットは頭の中を整理しきれないでいた。
「・・・あれが、クラウ?」
 大広間へ続く扉が全て開け放たれ、集まった人々は会食へと進んでいった。
「ああ、腹減ったな。俺達も行こうぜ」
 スコットは、酒器を持ったまま微動だにせず、なだれていく人々をぼんやり眺めている。
「スコット? ・・・スコット!」
「えっ? ・・・あ、ああ、そうだな」
「大丈夫か? まだそんなに飲んでないんだろ?」
「ああ、まだ来たばっかりだから」
「行こうぜ」
 スコットの背中を叩きながら、クライスはほくそ笑んだ。
 大広間の中央には大きな彫像があり、その彫像を囲むようにして置かれた食卓に、ずらりと料理皿が並べられている。出席者達は三々五々、料理をつまみながら談笑の続きに勤しんだ。
「皆様どうぞ、今宵は心行くまでお楽しみください」
 その言葉を最後に、バルバロスはすっかり酔いが回り切ったようだ。クラウリーナの周りには、先を争うように若輩の一団が群がっていた。
「・・・いつまでも子供だと思っていたが・・・」
 スコットの呟きを、クライスは聞き逃さなかった。
「何だ、スコット」
「い、いや、なんでも・・・」
「いつまでも子供じゃないぞ、クラウは」
「聞こえてたか」スコットは、横を向いたままばつが悪そうに微笑んだ。
「・・・実は、今日俺も同じことを思ったんだ」
「お前が?」
「やんちゃなじゃじゃ馬だとばかり思っていたが、あんな妹でも大人になれば立派な女性になるんだなって」
 若輩の一団を構っているクラウリーナは、終始ぎこちない笑顔を浮かべていた。
「スコットさん!」
「よう、サークスか」
 サークスは、両手に骨付きの肉を持ったままやってきた。
「お前は相変わらずだな」
「どういう意味だよそれ」
「成長がないってことだ」
「クライス兄さんまでなんだよ」
 不満そうに肉にむしゃぶりつきながら、サークスは二人の横に並んだ。
「ねえスコットさん、クラウの奴どう思う?」
「どうって?」
 サークスは、クライスにわからないようにスコットを肘で突いた。
「知ってんだよ、スコットさんがわざわざ今日のために帰ってきたってこと」
「約束を守っただけだ。他意はないよ」
「そんなあ、つれないこと言わないでさ、あいつずっと待ってたんだから」
「待ってた?」
 相変わらずぎこちない笑顔を浮かべたまま、クラウリーナの眼差しは会場の中をさまよっていた。
「待ってたのか、五年前の約束を忘れもせず・・・」
「スコット、ちょっと助けてやれ」
 スコットは、クライスを一瞥してからクラウリーナのほうを見た。相変わらず、若輩の一団に取り囲まれ、その笑顔は先刻より薄れている。
「!」
 クラウリーナの顔が、こちらを向いて止まった。赤い唇が少し開いて、そのあと照れ臭そうに綻んだ。いつの間にか、スコットは歩きだしていた。
 二人の視線は互いに相手を捉えたまま、その距離を縮めていった。
「あ・・・」
 クラウリーナは、捕われた罠から抜け出すように歩き始めた。様子の変化に気づいた若輩の一団が、近づいてくるスコットに牽制の眼差しを注いだが、彼らにできるのはそこまでだった。
 人込みの中から現われたその姿は、クラウリーナに遠く仄かな想いを甦らせた。そしてそれは、より確かなものへと変わろうとしていた。
「・・・覚えてて、くれたの?」
「ああ、約束しただろ」
「・・・仕事は、大変?」
「まあな。どんな仕事だって大変さ。クライスだって、デュラスだって、みんな一生懸命やってる」
「忙しいから、絶対忘れてるって思ってたけど」
「ちゃんと来ただろ? ほら」
 スコットは、クラウリーナの手を取った。
「納得したか」
 クラウリーナは、何度も頷きながら大粒の涙をこぼした。
「そういうところはまだまだ子供だな」
「だって・・・」
 それは至って自然な光景に、少なくともクライスにはそう思えた。
「よお、やっとるかね坊主」
 赤ら顔のミラウが、クライスとサークスの処にやってきた。
「ご陽気ですね、剣爵様」
「そりゃそうじゃ、わっはっはっ」
「あんまり飲み過ぎないでくださいよ」
「ぬかせ、クライス坊。これが飲まずにおられるか、なんたってかわいい弟子の誕生祝いじゃからのう」
「は?」
 サークスは持っていた骨付き肉を放り投げて、ミラウの腕を掴んだ。
「さあ、け、剣爵様、向こうにもっとおいしい料理がありますよ」
 ミラウは、まるで連行されるように脇をがっちりとサークスに抱えられて、喧騒の中へ消えていった。
「・・・まさか」
 クライスは、邪推を払拭して視線を戻した。若輩の一団はいつの間にか雲散し、楽しそうに話す二人がそこにいた。
「まさかな」
 かぶりを振って、クライスは腹拵えに向かった。

 王宮庁総務局に今年も設けられた、剣術宮試実行委員会は、少なからず事態の異変に気付いていた。
「ダイストー殿が?」
 イシク王の侍従長を務めていたルワン・ダイストーが、数日前から行方不明になっているというのだ。
「まさか、イシク王の御身に・・・」
 王の身辺雑務を取り仕切る侍従長が行方不明とあらば、イシク王自身の容態が問われることは必至である。しかも、次の連邦議会開催まで詳細は明らかにされることはない。王宮直属の侍従局は、固く沈黙を守ったままだ。
「国民に動揺を与えないことが先決だ」
 実行委員長であり、コモン・ディーク剣尊であるラスタス・コスワード王宮総務局長は、その足でミラウの庵を尋ねた。
「わざわざ尋ねてきたとあれば、世間話などで済むまい」
 ミラウは、こめかみを押さえて眉間を更に皺ませた。
「いかがなされたので?」
「いや、ちと昨日な、バルバロス殿のところで宴席をな」
 ミラウは手を翳して、それ以上の詮索を容赦することを請うた。
「ダイストー殿が? それは確かなのか?」
 裏庭に通されたコスワードは、矍鑠と長身を折り曲げて早速侍従長の失踪を告げた。
「王宮は固く門を閉ざしたまま、王宮庁でも姿を見た者はおりません」
「うむ、そうか・・・」
「剣爵様、率直にお伺いします」
 ミラウは、また手を翳してコスワードの言葉を遮った。
「わしは何も答えん。答えることはできん。それが全てじゃ」
「し、しかし剣爵様・・・」
「宮試の件なら、予定どおり行なうがいい。それで少しでも国民を楽しませることができるなら、・・・陛下もそれをお望みになるに違いない」
 コスワードは、ミラウの柔らかな微笑みに涙をこらえた。
「・・・承知致しました。剣術宮試は予定通り開催致します」
「ダイストー殿の件は、軍にも動いてもらおう。行方不明となれば、捨て置くわけにもいくまい」
「それは、私どものほうで」
「それとな、ラスタス。今回はちと、余興めいたものを企てておるのだが、一つ計らってはくれまいか」
 コスワードは、怪訝そうに顔を上げた。

 昨夜の疲れを忘れさせるほど、今朝の目覚めは爽やかだった。大きく伸びをすると、クラウリーナは寝台から跳ねるように飛び降りた。勢いに乗ってつい開けてしまった、細長い窓から吹き込む風は少し冷たかったが、今の気分にふさわしくすがすがしいものだった。
 二人で話した時間は、そう長いものではなかったが、五年の近況報告をするには充分であった。しばらくはスペリアードにいるという話を聞いて、次の約束をするまでもなく二人は別れた。近くにいるなら、いつでも会える。久しく忘れていた心の余裕を、クラウリーナは取り戻していた。
 三人の兄がいようとも、妹は常に貪欲であった。兄や父には感じない何かを、いつも心のどこかで欲していたのだろう。それを満たしてくれたのが、長兄クライスの友人、スコット・クリスレードであった。
 自分が求めていたものが何かということは、まだはっきりとわからない。ただ、それをスコットが持っていることだけは確かだった。それがわかるようになるのはいつだろうか。十八歳最初の朝は、クラウリーナにとって素晴らしいものになった。
「あれ? クライス兄さん」
 昨日の後片付けでも手伝おうと下りてきたクラウリーナは、身支度をしているクライスとその妻マリエール・アレス・エルレディアの姿を見つけた。
「あら、おはようクラウ。昨日は大変だったわね」
「マリエールこそ、おいしい料理をありがとう。クライス兄さん、もう帰るの?」
 振り向いたクライスは、どこか憮然とした表情を浮かべていた。
「いや、急に召集がかかってな、これから軍務局へ出掛けなきゃならん」
 クライスは、何度も強く目を閉じて眠気を払おうとしていた。遅くまでスコットと話し込んでいたに違いない。
「ここへ帰ってくるんでしょう?」
 クラウリーナも、その質問の答えを待った。
「ああ、そのつもりだが、何かあったらロブスと向こうへ戻っててくれ」
「ゆっくりできると思ったのに」
 マリエールは、不満そうに口を尖らせた。
「じゃ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
 クラウリーナも踊り場から大きな声で見送って、マリエールのところへ階段を下りていった。
「マリエール、何か手伝うことない?」
「いいのよあなたは。部屋でゆっくりしてなさい」
「でも、ローリアの分もあるから一人じゃ大変でしょ?」
「・・・そうね、じゃ手伝ってくれる?」
 クラウリーナにとって、ローリアが旧知の友人のようなら、マリエールは憧れを抱いている隣のお嬢さんといったところだろうか。ほっそりとした顔立ちに、整った目鼻がくっきりと浮かんで、黄金色の艶やかな髪を後ろで束ねている。二人の兄が結婚して、一番喜んだのはクラウリーナだった。
「ローリア大丈夫かな」
「心配ないわ。あとは天に任せましょう」
「デュラス兄さんも行ったの?」
「ええ、生まれるまで付き添うんですって」
「あたし女の子がいいな」
「いいな、ってクラウ、別にあなたの子供じゃないんだから」
「だって、もうロブスみたいなやんちゃは嫌なんだもん」
「男の子はあれくらいのほうがいいんですっ」
 山と積まれた皿を洗いながら、二人の笑い声が厨房に響いていた。
「あらあらあら」
 マリエールが慌てて厨房にやってきた。二人の姿を認めて、不満そうに顔を顰めた。
「あ、おはよう母さん」
「おはようございます」
「もう、あんたたち、なんで起こしてくれなかったのよ」
 髪のほつれをいそいそと直しながら、マリエールも二人の横に並んだ。
「もう少し寝てたらいいのに」
「そうですよ、昨日は大変だったんですから」
「そんなわけにはいかないじゃないの。あんたたちだってこうやってここにいるんだから」
 母と義姉に挟まれて、クラウリーナはなんだか楽しくなった。この皿のように、抱えている悩みも洗い流せたらと、クラウリーナは思った。

 同じ道を歩んでいることを父が知ったら、なんて言うだろうか。何かにつけて助言してくれるだろうか、それとも黙って見ているだけだろうか。どちらにしても、心の中では喜んでくれるに違いないと、スコットは思っていた。
 市都スペリアードは、ルオン川を挟んで王宮がある北側に旧市街、南側には戦後開発された新市街が広がっている。スコットの父であるアラン・クリスレードは、王宮政務局公官としてスペリアードの国政、殊に新市街開発に力を注いでいた。
 クリスレード家の屋敷は、新市街の最も南、港へ延びる街道沿いに建っている。小ぢんまりとした木造の建物は、新市街によく見られる中規模住居の一つで、部屋は六室ほどである。玄関は道路に直接面し、芝生を敷いた申し訳程度の裏庭がある。
 人を雇ったのかどうかは知らないが、屋敷は昨日一日で五年分の汚れがきれいに拭われていた。ロベルトは、いつもの笑顔で出迎えた。
「朝食はいかがなさいますか?」
「ああ、あるんなら、食べるよ」
「かしこまりました」
 夜通し喋る話というのは、どうしてああも取り留めがなくそして他愛のない内容なのだろうか。酒のせいもあるが、クライスと何を話したのか全く憶えていない。大方、俗などうでもいい話だろう。
「美しゅうございましたね、昨夜のお嬢様」
「え? あ、ああ、そうだな」
 抜けない酒と眠気で、ロベルトの言葉も遠くに聞こえる。
「僭越ながら申し上げますが、クラウリーナ様を見ておりまして、奥様のお若いころを思い出しました」
「母の?」
 まだ土の匂いのする萵菜(ちさな)の乗った皿を食卓に置いて、ロベルトは下がった。
「母が、クラウに似ていたと?」
「はい」
 スコットは、空いている席を指差して、ロベルトを同席させた。
「恐れ入ります」
「・・・どんな人だったんだ、俺の母親は」
 スコットは、母のことを父に尋ねることはしなかった。父もまた、母のことを話そうとはしなかった。新しい命に己の命を捧げた母の偉大さは、黙っていてもスコットにはわかっていた。
「とても優しくお美しい方でした。優しい中にも、涼やかな、ある意味鋭さのようなものを持ち合わせていらっしゃいました」
「なるほど、大雑把な父とは正反対だな」
「実は聞くところによりますと、奥様も剣術を嗜んでおられたようで」
「剣を?」
「はい。ご主人様とご結婚なさる前ですが、かなりの腕前と伺っておりました。もちろん、ご結婚されてからは、一度も剣をお持ちになられたことはございません」
「へえ、母が剣を、それは意外だな」
「剣は子をなす女が持つべきものではございませんが、いずれそのような慣習は打ち破られるでございましょうな。そんな気が致します。・・・少々口が過ぎました」
 ロベルトは慎ましやかに席を立った。

「なんじゃ、しばらくは来んと思うとったが」
 クラウリーナは、意外そうな顔でミラウを見た。
「宮試までもう日がないんですよ、そんな悠長なこと言わないでください」
「おお、こりゃすまん」
「今日から特訓するんですっ」
 憮然とした顔で、クラウリーナは素振りを始めた。
「ちょっと待った」
 奥へ引っ込んだミラウは、またこの前の衣甲を持ってきた。
「今日からこれを着けい」
「えーっ、またですか?」
「つべこべ言うでない、お前はこれで宮試に出るのじゃ」
「えーっ! 嘘ぉーっ!」
「嘘ぉーではない、素性を知られるわけにはいかんじゃろうが」
「そ、それはそうですけど・・・」
「特訓と言ったのはお前のほうじゃぞ」
 先程の意気はどこへやら、クラウリーナはすっかりしなだれてしまった。
「この間の調子で行けば優勝間違いなしじゃ。ほっほっほっ」
 いやらしい笑いを残して、ミラウは庵の奥へ引っ込んだ。
「・・・そうよね、こないだはこれ着けてデュラス兄さんに勝ったのよね。もっとこの重さに慣れれば、例えクライス兄さんだって・・・」
 衣甲の搗合う音を聞きながら、ミラウは奥の間で来客と話の続きを始めた。
「仮面の剣士を、ですか?」
 剣術宮試の実行委員長であるコスワードは、当日の主審も兼ねていた。
「ですが、素性を秘しての参加は・・・」
「だから、優勝すれば姿を証すと言うておろうが」
 コスワードは、合点がいかないのか何度も小首を傾げた。
「それとな、入室典儀の相手も、うちから出したいのだが、よいか?」
「ええ、それは構いません、こちらでも選考に苦慮しておったところでして、・・・しかし剣爵様、こんなことを申し上げるのは大変失礼ですが、・・・本当にその仮面の剣士は宮試に優勝できるので?」
「うむ、おぬしが訝るのも無理はないが、・・・まあ、当日を楽しみに、としか言えんな」
 溜息を漏らすコスワードに、ミラウはただ微笑みを返した。
「・・・できるだけ、今回の宮試は盛り上げたいのじゃ。無理を承知で、お願い致す」
「それ以上申されませぬよう、万事お任せください」
「すまんな、ラスタス」
 裏門へ向かおうとするコスワードを慌てて引き止めて表から帰すと、ミラウは縁側へ戻った。
「・・・ま、勝つも一興、負けるも一興・・・」
 ミラウにとって、剣術に興じていられるのも今年限りであった。イシク王であり友であるジュラスは何も言わなかったが、ゴルドレック最後の剣爵として、この大陸を束ねていかねばならないという思いがあった。
「ほら、肘が延び切っとらん。真っすぐ前へ!」
 もしこの身に何か起こったとしても、かわいい弟子が意志を継いでくれる。そして、ゴルドレックに新たな時代を呼び起こす風が吹くと、ミラウは確信していた。
「えーい、もっと前に踏み出さんか!」
 クラウリーナ・エルレディアには、その資格があった。

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