1999

マニュアル天国

 近未来、人々は全ての行動をマニュアルに頼っていた。教育、恋愛、育児、就職、老後など、政府から支給されるマニュアルは、個々のシチュエーションに応じて配布され、人々は規律正しい、モラルに溢れた生活を送っていた。
「父さん! 僕もう嫌だよ!」
「おお、久々だというのにどうした息子よ。思えばこの二三日食事にも顔を出さず、部屋に閉じこもりきりで一体全体どうしたんだ?」
「なにが一体全体だよ! 僕はもうこんな生活が嫌だって言ってるんだよ!」
「生活が嫌? おお、よし、こんなときには、育児マニュアル思春期編男の子用第三巻をと・・・」
「それが嫌だって言うんだよ!」
「なんと、お前はこのマニュアルが嫌だと言うのか」
「何かにつけてはマニュアルばっかり、父さんはマニュアルがないと何にもできないのかよ!」
「そうだ!」
「うっ・・・、開き直られた・・・」
「今のは冗談だが、いいか息子よ。例えば、ケーキをつくるとしよう。それにはいろんなつくり方があるが、おいしいケーキをつくるには一つのつくり方を憶えれば充分だ。同じように、人がよりよく成長するためにも、いろいろな事象を総合すればやはりそれも一つに集約される。それがこのマニュアルなのだ」
「でも、それじゃ個人の価値観がないがしろにされてしまうじゃないか! 人間はケーキじゃないんだ、画一化するなんてナンセンスだよ」
「むむっ、歳に似合わぬ反論・・・、では、お前はどうしたいのだ」
「僕は、マニュアルのない世界で暮らすんだ」
「一人でか? 父さんや母さんと離れてか?」
「母さんはもう出ていったじゃないか」
「そ、そういう内々のことはいいから・・・、ではお前はこれから一人で生活していくというのだな、しかもマニュアルに頼らずに」
「そうだよ!」
「・・・お前も、目次にないところで育っていたのだな。・・・わかった。もう何も言わん、一人で暮らすがいい。しかしな、例えどこにいても、私はお前の父親だ。それを忘れるな」
「と、父さん・・・」
「マニュアルのない人生は厳しいぞ。何もかも自分一人でやっていかねばならぬ苦しみに、お前は耐えられるのか?」
「それが人生だよ、父さん」
「ううっ、息子よ・・・。最後に、お前に渡したいものがある」
「何だい?」
「マニュアルのない世界で暮らす人のためのマニュアルだ」
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