1996
あの太陽に向かうひまわりの如く
まるで曖昧でない空の青と雲の白。眩しそうに見上げながら、古河修二は流れる汗を拭った。
「どうした、古河!」
「はいっ!」
グラブの中に拳を叩きこんだが、気持ちはまるで裏腹だった。
甲高い音で、白球が空に舞う。
構えたグラブに、また夏の光が突き刺さった。
「もういい!、下がれ」
土煙の中からボールを拾い上げると、修二は口惜しそうにその手に力を込めた。
「・・・くそっ・・・」
入れ違いにグラウンドに入ったチームメイトは、ただ肩を叩いただけで何も言わなかったが、修二には痛いほどその言葉が身にしみた。
“どうしたんだ、しっかりしろ”
全く、自分でも情けないくらいだ。みんなが気持ちを切り替えて、秋の大会に向かって練習をしているというのに。
終了後、発表されたレギュラーの中に、修二の名前はなかった。
スランプと言えば聞こえはいい。しかし他人にどう聞こえようが、修二の今の調子が悪いことになんら変わりはない。
吐け口のない怒りを抱えたまま、修二は夕暮れのグラウンドにいた。
明日から学園も夏期休暇とやらに入るらしく、学園施設の使用もその間できなくなる。きれいに片付けられたグラウンドは、どんな夏休みを過ごすのだろう。
明るく照らされた雲の底が、不気味なほどに鈍く光っている。薄明の中、修二はグラウンドの片隅にあるひまわりを見ていた。暮れ行く空を名残惜しそうに、その黄色い花を向けている。
修二は、いつしかグラウンドを横切っていた。まるで新雪のそれのように、修二の足跡は真っすぐ花壇に伸びていった。
その意外な大きさに、修二はひまわりを見上げた。
どれも微風に大きな葉を揺らしながら、太い緑の茎はしっかりと大地に突き立っている。そのうちの一際大きなひまわりの前に、修二は立った。手を延ばしたが、天辺の花には遠く及ばなかった。
下にいる修二などまるで無視したように、ひまわりは夜に滲む西の空を見つめ続けている。修二には、それが腹立たしく思えた。
目の前で、黄色い花がうなだれていた。茎の折れ目から、水が泌みだしていた。花は、じっと修二の方を向いて、所々捩れた黄色い花びらが、生温い風に震えていた。
「何するの!」
水の跳ねる音がした。青いジョウロが、グラウンドに転がった。修二は、茎を握っていた手を離した。
小さかった人影が近づいてきた。お互いに姿を認め合える距離まで近づくと、その女生徒は足を止めた。修二は、酷く冷静な自分が嫌だった。
「・・・どうして・・・」
息を切らせながら、女生徒はゆっくりと花壇に近づいた。頬を伝う滴は汗だろうか、それとも涙だろうか。悲しそうな目で折れたひまわりを見つめるその子を、修二もまた取り憑かれたようにずっと見つめていた。
ひまわりの黄色だけが、訪れていた夜の闇にぼんやりと浮かんでいる。彼女は修二の前を横切ると、ひまわりの前に屈んだ。長い髪の先が、修二の二の腕に触れた。
「かわいそうに・・・」
茎の折れ目を手で覆い、しなやかな指が震えながらひまわりの花に触れた。ブラウスの白い背中が、朧げに光っている。
修二は、きつく目を閉じた。生温い夜の空気をかき分けるように、修二は走りだしていた。
過ちを犯してしまったときの気持ちが、こうも不快なものなのかと、修二は思った。過ち。そう、修二は過ちを犯したのだ。この状況から逃げたかった。修二は必死で走った。だが、あの時の感触は、全ての感覚に刻み込まれていた。
どれくらい走っていただろうか。通りの角から出てきた車のライトとけたたましいクラクションで、修二は我に返った。汗を拭った手に、まだ青臭さが残っていた。
程なく、身体中に暑苦しさが纏わりついてきた。暑さだけではない、全身を這い回るような罪悪感と、突き刺すような自責の念が、修二を嘖んでいた。
どうしようもなかった。あんなことをしてしまった自分を、修二は悔やんだ。自分の愚かさを精一杯嘆いた。しかし、そうしたところで犯した罪は消えはしない。
あの子はまだいるだろうか。もしいるのなら、せめて一言謝りたい。もう今更何をしてもしょうがないが、このままでは犯した罪の重さに潰されそうだった。
修二は走った。
閉ざされた門を乗り越え、校舎の脇からグラウンドに入った。
あの子はまだそこにいた。屈んだまま、折れたひまわりをいたわるように手で包んでいた。修二はゆっくりと近づいていった。汗で貼り着いているシャツが、背中でごわごわしていた。
「来ないで!」
じっとひまわりを見つめたまま、彼女は悲鳴にも似た声でそう言った。一瞬たじろいだ修二だったが、再び歩を進めた。
「来ないで!!」
一層強い調子で言うと、彼女は修二のほうを向いた。夜に包まれた彼女の眼は、悲しそうに光っていた。
「・・・なんて言うか、・・・その、・・・ごめん」
彼女は、ゆっくりと立ち上がった。白いスニーカーの下で、砂粒が弾けた。
「・・・謝るんなら、この子に謝って」
その声に、もう怒りの色は失せていた。細い腕がすっと延びて、折れたひまわりを指した。修二は、言われるままに身を屈めた。
「・・・ひどいことをしてしまって、・・・ごめんな」
一瞬風が吹いて、黄色い花びらが揺れた。許してくれたように見えたのは、勝手な解釈だろうか。
「じゃ、俺これで、・・・本当に、ごめん」
申し訳なさそうに頭を下げたまま、彼女の前を横切ると、暗闇の中を修二は歩きだした。
グラウンドの端まで来て、修二は後ろを振り向いた。彼女は、先刻のように屈んで、ひまわりのそばにいた。
「・・・帰らない、のか?」
彼女は、不意を突かれたように顔を上げた。修二の手に、青いジョウロがあった。
「ありがとう・・・」
彼女はそれを受け取ると、その軽さに目線が何かを探った。
「あ、そうか」
修二は、彼女からジョウロを取ると、近くの水場まで走った。水を汲んで帰ってくるまで、彼女は呆気に取られたように立ち尽くしていた。
「はい」
「あ、ありがとう・・・」
「こんなことしか、できないけど・・・」
修二が見せた照れ隠しの笑顔に、彼女も応えるように微笑んだ。
注意深い手付きでジョウロを受け取って、彼女はひまわりの根元に水をやり始めた。
「・・・いつも、やってるの?」
「・・・今週、当番なの」
ジョウロの横に大きくマジックで書いてある文字に、修二は今頃気づいた。
「そうか、園芸部なんだ」
乾いた土に、水が音を立てて沁み込んでいる。夜の学園に、その音だけが響いていた。
「・・・野球部、でしょ?」
「え?」
思いがけない言葉に、修二は少し戸惑った。
「朝にも、水やりに来てるんです。・・・ふるかわさん、ですよね?」
「え?、そ、そうだけど」
「いつも監督に怒られてた人でしょ?」
修二はとりあえず笑ったが、本当は全然笑い事じゃなかった。
「まいったな、いつも、か・・・。ま、当たってるだけに辛いな」
「あ、ごめんなさい・・・」
「いや、君が謝ることなんてないよ。悪いのは、・・・それもこれも悪いのはみんな俺なんだから」
修二は、うなだれているひまわりを見つめた。
「・・・そうだ」
急に何かに取り憑かれたように、修二は辺りを見回した。頭も身体も狂ったようにぐるぐる回して、何かを探している。怪訝そうに見つめる彼女を見向きもせず、一心不乱な様子でそのうち辺りを歩きだした。
「あった!」
修二が手にしているのは棒切れだった。元は帚か何かだろう、四、五十センチの細い竹のようなものだった。
「これで、なんとかならないかな」
目を丸くしている彼女を尻目に、修二はその棒切れを折れたひまわりに宛った。
「ひもかなんかない?、こうやってくくってさ・・・」
彼女は、穏やかな笑顔で、それが無駄な行為であることを修二に諭した。
「そうか、・・・やっぱりだめか」
修二は、茎に添えていた手をゆっくりと離した。
「もう、いいの。そっとしておいて」
彼女の目が、また悲しみで溢れ始めた。修二は、棒切れを花壇の脇に置いた。
「・・・ごめん。本当にごめん」
彼女が優しく首を振る度に、却って修二の悔恨の念は深くなっていった。修二は、天を仰いで両の拳を突き合わせた。
「なんで、・・・こんなことしたんだ、くそっ」
「・・・魔が、差したのよ。きっと」
「そんなんじゃ済まされないよ」
修二は、何度も拳を突き合わせた。
「やめてお願い」
強く握られた修二の拳を、彼女は恐る恐る触れた。
「・・・手がどうにかなっちゃうわ」
修二は、彼女の手の暖かさと柔らかさに、別の方向へ気持ちが昂揚した。彼女も、何かをごまかすようにその手を軽く叩いた。
「ねえ、何か楽しい事を思い浮かべましょうよ。そうすれば、少しは楽になるわ」
「楽しい事・・・」
「海、行った?」
「行けるわけないよ。ずっと部活さ」
「あ、そっか・・・。ずっとなの?」
「夏休みはずっとさ。地区予選、準決勝で負けたんだ」
「あれ、惜しかったね」
「知ってるのか?」
「うん、観てた。一回戦からずっと観てたの」
余計表情が曇った修二が気になったのか、彼女は努めて微笑んだ。
「じゃ、野球はこの際忘れましょう、ね?。何か他の事で・・・」
「いいよ、もう。気持ちは嬉しいけど、・・・いいよ」
修二は、その場にしゃがみこんだ。
「・・・ずっと、野球の事を考えてた。中学の頃から、いやもっと小さな頃から、試合で勝つことだけを考えてた。自分がうまくなることだけ考えてた。・・・だから、楽しい事なんて、他にはないんだ」
「そんなに、負けたのが悔しいの?」
彼女の声は、まるで上から押さえ付けてくるように聞こえた。
「それでいつも監督さんに怒られてたの?」
「関係ないよ」
「・・・そうやって、いつまでもウジウジしてたら、いつまでたっても勝てないわよ」
「君に・・・、君に何がわかるっていうんだ」
「わかるわよ。なぜ済んだことをいつまでもくよくよしてるのよ。また来年があるって、また来年頑張ろうって、なぜ思わないの?。・・・そんなんじゃ、どんな試合だって負けるわよ」
「そうだよ!、あの試合は、俺のせいで負けたんだよ!!」
立ち上がった修二のすぐそばに、彼女の驚いた顔があった。
「待って!」
いたたまれず、修二は走りだした。口の中で、血の味がしていた。
賑わう街が、修二の眼下にあった。生温いが、歩道橋の上は風も吹いていた。
白の列と赤の列が、するすると動きだした。
「・・・どうしようか・・・」
修二は、手すりにもたれながら一人呟いた。ちょうど向こうは駅の方向だ。まだ帰りたくはなかった。
背中で、いろんな足音が響いている。せわしそうなハイヒール、ご機嫌な革靴、鼻歌混じりのサンダル、賑やかなスニーカー、下駄はどこかの粋なおじいちゃん。
みんな家に帰るんだろう、きっと。
彼女は、もう帰っただろうか。夜の闇の中であまりよく見えていなかったが、長い髪と悲しそうな目は印象が残っていた。
あの声は、はっきりと思い出すことができる。
心が揺さぶられるような凛とした声、時には優しく包むように、時には寂しく消え入るように。そして、どこか懐かしいような。
錯覚と言えば、それで全ては片付いてしまうのかもしれなかった。
「・・・どうしようか・・・」
修二は、もう一度呟いてみた。
「・・・ほんとよ。どうするの?」
修二は、なぜか俯いて微笑んでいた。嬉しいのか、おかしいのか、自分でもよくわからなかった。
振り向くと、彼女がいた。
修二は、笑いが止まらなかった。いくら彼女が怪訝そうに見つめても、笑いは止まらなかった。
「ねえ、どうするの?」
彼女の手をとって、修二は歩道橋を走り出した。階段を駆け下りて、雑踏の中を走り抜けていった。
「ねえ、だから、どうするの?」
「好きにするさ!」
修二は、それならせめて今を楽しもうと思った。どうせなら、彼女も一緒に。財布が底を突くまで、思い付く限りの遊びをした。
「あ、そこそこ。行け、パンチ。あん、ほらキックキック」
「ちょっと黙っててくれよ」
画面の中で、無骨なロボットが戦っている。
「ミサイル撃ってほら早く、逃げちゃうよ」
「わかってるよ」
短い喘ぎと共に、修二のロボットは爆発して四散した。
「あーあ」
「もう横からごちゃごちゃ言うから」
「あたしのせいなの?」
睨み合う二人に、店員が怪訝そうに声をかけた。
『あ、ごめんね、時間過ぎたから、制服だとばれちゃうから』
店員に会釈しながら、修二は青少年保護条例とやらに従った。
「もうこんな時間か。そろそろ・・・」
修二は、立ち止って自分の両手を広げて見た。
「鞄・・・?」
「学校だ、置いてきた」
慌てて修二は走りだした。
「もう遅いから、先に帰って」
「でも・・・」
「楽しかったよ。ありがとう」
「・・・うん」
「また、会えるよね」
その微笑みに、修二は確信を持った。
「じゃ、おやすみ」
彼女は、追いかけてこなかった。歩道橋の上で、修二はもう一度手を振った。
「・・・送っていく時間、あったな・・・」
こういうのもさわやかでいいかなと、修二は勝手に納得していた。
学校の建物は、もうどこにも明かりがなかった。勝手口から正当に行ってもよかったが、急いでるし面倒なのでまた門を乗り越えた。
夜の学校が怖いというのは、どうやらまんざらでもないようだ。小学生でなくても、怪談話で盛り上がるのはわかる気がする。尤も、人間は学校でなくても夜の闇は生理的に怖がるようになっているらしいが。
修二は、なぜか忍び足で校舎の脇を抜けてグラウンドに出た。
グラウンドを見渡して、足元を見て、真っ暗な校舎の窓を見上げて、ついでに後ろを振り返ると、残念そうな顔で彼女が立っていた。
「あっもう、見つかっちゃった・・・」
「な、なんだよ、びっくりするじゃないか」
胸をさすりながら、修二は彼女をたしなめた。
「あたしも、忘れ物」
指の差すほうを見ると、青いジョウロがあった。
「俺が片付けるから、外で待ってろって」
「どこに片付けるか、知ってる?」
修二は、黙って歩きだした。
「見つかるとややこしいから、気を付けろよ」
「平気よ、悪いことしてるわけじゃなし」
二人は、そろそろと花壇に近づいた。
「あ、あったあった」
ジョウロに隠れるように、修二の鞄があった。
「さ、見つからないうちに行きましょう」
「ああ・・・」
修二は、自分が折ったひまわりをしげしげと見つめていた。
「・・・ねえ、一つ訊いていい?」
「なんだ?」
「・・・試合、なんで負けたの?」
修二は、深々と溜息をついた。
「太陽が、眩しかったんだ」
「太陽が?、眩しくて?」
「ああ、そうさ」
「だからなの?、だから、こんなこと・・・」
「ああ・・・、ああそうだよ。じっと太陽を見ているこいつらが・・・、ひまわりが憎らしく思えたんだ」
彼女は、何かをこらえるように口許に手を押し当てた。
「せっかく先輩たちが同点に追い付いたってのに、俺が、フライ落としたばっかりに・・・」
「でも、その同点のホームを踏んだのは、あなたよ。あなたが、切っ掛けをつくったのよ」
「それは、それはそうだけど、俺のせいで負けたことには、変わりないさ」
修二は、ひまわりの前に屈みこんだ。
「責任転嫁もいいとこだよな。ったく情けないよ。・・・ごめんな」
「・・・許してくれてるわよ。もう」
「そうかな。だといいんだけど」
膝に手を当てて、修二は立ち上がった。
「・・・ねえ、ひまわりの花言葉、知ってる?」
「いや、知らない」
「“あなたを見ています”って言うの」
「へえ、そうなんだ」
「どこかで、きっと誰かがあなたを見ているわ。監督さんや、野球部のみんな、きっとそうよ。だから、あなたも自信を持って」
「・・・そうか、そうだよな」
修二は、今までになくすがすがしい気分でいた。心の中で、沸沸と湧き起こるものを確かに感じていた。
「自分でこんなことしておいてなんだけど、これでよかったって気がするよ」
「よかったって?」
「自分の力不足さもわかったし、少しだけど自信も湧いてきた。それに・・・」
「それに?」
「・・・君にも会えたしね」
彼女は、はにかんだように口許に笑みを浮かべながら俯いた。
「君が教えてくれたんだ。困難から逃げずに立ち向かうってことを。君と、こいつがね」
うなだれているひまわりは、茎が折れているにもかかわらず、それでもまだ生き生きとしていた。
「これ、持って帰っていいかな?」
「え?、その、ひまわりを?」
「なんだか、急に愛しくなってさ。このままにしとくのもなんだし、・・・まずいかな?」
「ん、ううん、あたしは、構わないけど・・・」
「ほんと?、じゃ引っこ抜いていいね」
「うん・・・」
修二は花壇に入り、足の踏み場を慎重に決めた。
「んっ、こいつ、結構、でかいな・・・」
「どうするの?、持って帰って」
修二の動きが、一瞬止まった。きっと勢いで決めたことなのだろう。
「ん、帰ってからゆっくり考えるさ。とにかく、このまま別れるのが惜しくてさ」
「そう・・・嬉しいな・・・。大事に、してね・・・」
「わかってるって。そ、それより、ちょっと・・・あ、そうだ、まだ名前聞いてなかったね」
修二の手元を、まばゆい光が照らした。
「こら!、何やってるんだ!」
やばい、と修二は思った。夜の学校にただ居るだけならどんな言い訳もたつが、今の修二は、どう見ても花泥棒にしか見えない。
「こっちに来なさい!」
ひまわりを抜く手を離して、修二は渋々警備員の許へ向かった。
「こんな時間に何をしている!」
「す、すいません、2Dの古河といいます。あの、決して怪しい者じゃ・・・、やっぱり怪しいですよね」
「当たり前だ。ちょっと来てもらうぞ」
「まずいね、見つかっちゃっ・・・」
振り向いて、修二は彼女がいないことに気づいた。
「あれ?、どこ行ったんだ?」
「なんだ、共犯がいるのか」
「共犯だなんて、違いますよ。女の子が一緒にいたんですけど」
「あん?、この期に及んで責任逃れか。初めっから君一人しかいなかったぞ」
「え!?」
「さ、来い」
向こうから、もう一つの光が近づいてきた。
「どうだったね、誰かいたかい?」
「ええ、うちの学園の生徒らしいです」
その警備員は、今、腕を掴んでいる警備員よりもかなり歳をとっている感じだった。
「あのすいません、女の子がそっちへ行きませんでしたか?」
もしかすると、彼女は先にうまく逃げたのかもしれない。
「ん?、女の子?、いや、誰も来とらんが」
老警備員は、懐中電灯を花壇の辺りに照らした。
「・・・君、あのジョウロは、君が持ってきたのか?」
「いいえ、その女の子です」
「そうか・・・」
老警備員は、明かりを消した。修二は、彼の深々とした頷きに首を捻った。
「川崎君、彼を放してあげなさい」
「え?、飯島さんしかし・・・」
「いいから」
修二は、掴まれていた二の腕をさすりながら、老警備員に会釈した。
「さ、もう遅いから早く帰りなさい」
「すいません。ありがとうございます」
警備員から鞄を受け取ると、修二はもう一度会釈した。
「いいんですか?、飯島さん」
とぼとぼと歩く修二の後ろ姿を見ながら、老警備員は微笑んでいた。
「・・・また出たか」
「は?」
「いや、なんでもない」
老警備員は、青いジョウロを持って、ひまわりの咲く花壇を見遣った。
「・・・来年の甲子園が楽しみじゃな」
一筋の光が、ひまわりを照らした。まるで笑っているように、黄色い花びらと緑の葉が揺れていた。
休みが明けて、きっと訪ねてくるであろうあの生徒になんて説明してやろうか。それとも、素知らぬ態度を決め込んでやろうか。
歳老いたその表情は、あの太陽に向かうひまわりの如く、穏やかで優しさに満ち溢れて、そして少し悪戯っぽく笑っていた。
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