1995

クリスマス・プレゼント

「帰れないって・・・、どういうことなの?」
 真っ暗な電話の画面の隅で、通話時間がちまちまと時を刻んでいた。
“個人通話はポケットマネーなんだ”
 泉原七菜(いずはらなな)は、見送りのシャトルポートで、そんな彼の本音に涙を拭ったのを思い出していた。愛の力では、どうにもできない現実もある。
 38万4千キロの彼方へ、布瀬諒賢(ぬのせりょうけん)が旅立っていったのが十月初め。帰還予定は十二月半ば。
“二ヵ月も会えないと、何もかも忘れそうだよ”
 意地悪そうに笑う諒賢が、真っ暗な画面に浮かんだ。
「・・・詳しいことは、また手紙で送るから・・・」
 乾いた声がせわしそうに響いて、通信終了のオペレートが聞こえた。七菜は、予定通りを知らせる直筆の手紙を握り締めて、通信を切った。

 やりきれない気持ちが溢れ出て、通信室中に充満していた。
「使えるだろ、この裏技」
 一年先輩の久住智久が、レシーバーを外しながら諒賢の肩を叩いた。
「・・・別にお前を嫉んでるわけじゃないが」
 月周回軌道上にあるステーション「エータ」は、暗い月の裏側へと入っていった。これからしばらく、地球との通信には制限がかかってしまう。
「・・・SL(宇宙労働者)の離婚率は半端じゃないんだ。結婚してても難しいんだから、俺達なら尚更さ。東京-大阪どころじゃない、地球と月だ。シンデレラ・エクスプレスもそっぽ向くぜ」
「ええ・・・、わかってます。‘究極の長距離恋愛’でしょう?」
「ま、邪魔する気持ちは更々ないが、応援する気にもなれないな、悪いけど」
 ライトブルーの船内作業服に包んだ身体が浮き上がりそうになって、久住は天井に手を着いて押し返した。
「大丈夫です。俺は、七菜を信じてるんです。ずっと」
 ベルトを外してシートから立ち上がると、諒賢は大儀そうに身体を捩って向きを変えた。
「・・・もし、俺達が別れたら、そのときは笑ってくれていいですよ」
 ぽっかりと口を開けたような狭い通路に浮かびながら消えていく諒賢を、久住はばつが悪そうに頬を掻きながら見送った。
 諒賢は、時々自分の運の強さがわからなくなるときがある。日本で唯一、ステーションに研究施設を持っている大学の宇宙工学部に合格したのも、二回生でこうして研修に来れたのも、みんな実力だけではとても無理だった。
 そんな微妙なタイミングを掴めたのも、そして七菜と出会えたのも、自分の運の強さからだと思っていた。
 それが昨日、帰還準備のため地球軌道上のステーションからやってきたシャトルがドッキング直後に故障し、代わりのシャトルを呼び寄せても、故障したシャトルを修理しても、とても帰還予定日には間に合わなくなってしまったのだ。
 小指の爪にも満たない故障率0.05%の部品が起こした、マイナートラブルだった。
「クリスマスには、・・・たぶんギリギリですね」
 LDA(月開発局)のシンシア・スタッグマイヤーが、自らも残念そうに溜息混じりで話した。
「研修ミッションは全て終了しているので、問題はないんだが・・・」
 担当教授の坂延光男が、彼の横でカップ入りのコーヒーを飲んでいた。‘リヴィング’は、人工重力ブロックにあるので、少しは「らしい」時間が過ごせる。
 通路から二人の顔を伺いながら、諒賢は‘リヴィング’に入った。
「先生、やっぱり、だめなんですか?」
 諒賢は、つい英語で訊いてしまっていた。
「みたいだね」
 坂延教授は、日本語で諒賢に答えた。お互いに少し苦笑しながら、諒賢は、並んで談笑している二人に向かい合うように席に着いた。
「コーヒーでもどう?、リョーケン」
「はい、いただきます」
 スタッグマイヤーは、立ち上がってドリンクサーバーの前に立った。彼女はLDA職員で、学校機関や企業などの民間人が宇宙で活動する際のコーディネーターで、言わば添乗員である。
「確か君には、ガールフレンドがいたわね」
「はい、います」
 諒賢は、スタッグマイヤーから手渡されたカップを、香りを楽しむように顔に近付けた。
「・・・今年のクリスマスは、彼女を寂しくさせてしまって、私も申し訳なく思っているわ」
「い、いえ、そんな・・・」
 諒賢は恐縮して、口を付けたカップを慌てて離して、テーブルに置いた。
「我々の過ごした二ヵ月は、あっと言う間だったが、待っている者にとっては、きっと長い二ヵ月だろうね」
 どこか遠い目をしながら、坂延教授が言った。狭く殺伐とした実験棟の中でも、大らかな人柄で学生のプレッシャーを取り除いてしまう。これまでにも、優秀な人材を育て上げてきた、宇宙工学の第一人者である。
「彼女に何かフォローしてあげたほうがいいわ。私にできることがあれば、遠慮なく言ってください。協力します」
「はい、ありがとうございます」
「・・・そうね、何か気の利いたプレゼントでもあれば、あたしなら許すわね・・・」
 スタッグマイヤーは腕組みをして、自分のことのように考えた。
 ステーション内は、地球のグリニッジ標準時(GMT)に合わせられている。今ごろになって、日本が早朝だったことに諒賢は気付いた。

 身震いがして、二回くしゃみしてから、七菜はすっかり冷えた身体をさするようにした。
 ベッドの端に座ったまま、カーテンを通して外が薄明るくなってきたのがわかった。なにをするでもなく、七菜はじっと座っていた。今日が日曜日でよかったと、カレンダーを確かめた。
「大丈夫?」
 平たいカップを顔の前で止めたまま、寺岡瑠璃の心配そうな表情が白い湯気に揺れていた。
「ん、大丈夫大丈夫」
 手を口にあてたままの姿勢で、七菜はしばらく待った。もうくしゃみは出てこないとわかったので、大きく呼吸してから水を一口飲んだ。
「まさか、風邪をうつすのに呼び出したんじゃないでしょうね?」
 七菜は、笑って首を振った。
 グラスパネルで囲まれた、カフェテラス風の喫茶店で、二人は架空の昼下がりを過ごしていた。
 暖かい光がサブ・シティに降り注いで、誰もがここが地下だということを忘れているに違いない。
「しょうがないんじゃないの?、だだこねたところで。そりゃ、クリスマスには間に合わないかも知れないけど、必ず帰って来るんだから、それでいいじゃない」
 差し当って返す言葉もなく、七菜はカップに付いたルージュを親指で拭っている。
「贅沢な悩みよね、あたしからすれば」
 瑠璃は、肩口の髪を大儀そうに掻き上げた。
「ある程度は覚悟してるんじゃなかったの?」
「してたわよ・・・」
「学生のうちはまだいいけど、これからもっと大変になるわよ、たぶん」
 もし付き合い始めた段階で、諒賢の歩む道がわかっていたら、自分はどうしただろうかと七菜は考えた。
「・・・浦島太郎の恋人って、かわいそうね」
「何それ?」
 瑠璃は、思わず身を乗り出していた。
「いなかったわよ、恋人なんて」
「いたら、の話。・・・いつ帰ってくるかもわからない人を、ずっと死ぬまで待ち続けて・・・。向こうは向こうで、龍宮城で遊び惚けて、こっちのことなんかすっかり忘れて・・・」
「だめよ、そんな例え話」
「だって、・・・違い過ぎるんだもん、時間の進み方が。向こうは実験や何やらで秒単位のスケジュール、こっちは毎日同じことの繰り返し。朝起きて、会社で仕事して、上司に怒られて、友達に愚痴こぼして、家に帰って寝るだけ」
「愚痴こぼされる身にもなってよ」
 七菜はドキッとして瑠璃を見たが、薄笑いを浮かべていたので本気で言ったのではないようだった。
「じゃあ、ナナは布瀬君が自分の事を忘れてるって言いたいのね?」
 七菜は、口篭ったまま返事をしなかった。
「とにかく、別れ話を切り出すにしても、彼が帰ってきてからでも遅くないでしょ。・・・ほんと贅沢よね。クリスマスだのなんのって、来年もあるわよ」
 上目使いで瑠璃の顔色を盗み見て、七菜はカフェオレを飲み干した。
 帰宅すると、国際電子メールが七菜宛てに届いていた。予定日に帰還できない理由が、破ったノートに走り書きされていた。
 38万4千キロを、わずか二十分で駆け抜けてきた代償だろうか、七菜はその手紙が冷たく思えて仕方なかった。

 朗報は、まずスタッグマイヤーに飛び込んできた。彼女が打診していた、月基地のシャトルを回す手筈が整ったというのだ。既に基地を発進して、今日中にもランデブーからドッキングまで可能らしい。
 直ちにこの知らせは宇宙工学部学生全員に届いたが、手放しでは喜べないファクターも残されていた。
 月基地から回されてくるシャトルで、地球軌道上のステーションまでは行くことができる。問題はそこから先だった。
 本来、諒賢達はSTS・と呼ばれるシャトルで、ステーションから地球まで直行で帰還する予定だった。しかし、月基地に配備されているシャトルは、大気圏外専用のSTS・。大気圏再突入のための耐熱パネルはおろか、翼さえない。
 従って、地球軌道上のステーションに着いた後、また別のシャトルで再突入の機を待たなければならないが、今のところその目処が全く立っていないのである。
 引き続き、スタッグマイヤーがその件について、関係各機関に打診を続けることになった。
 遅れてはいるが、いざ帰るとなると意外と名残惜しいものだと、諒賢は思った。恐らく、諒賢だけではないだろう、他の学生も同じ気持ちのはずだ。期せずして生じた自由時間は、展望室を満員にしていた。
 ライトグレイの大地が、窓一杯に広がっている。クレーターだらけの、地球に比べればなんと不細工で非芸術的な光景だろう。きっと飽きるに違いないと、誰もがそう思っていた。
 いつかスタッグマイヤーが言っていた、「好きこそものの哀れなり」という言葉を諒賢は思い出した。傍目から見て、どんなに魅力のないものでも、それを好きな人にとっては魅力で溢れている、とでも解釈しようか。
 どんなに凸凹だらけでも、月には魅力が溢れている。今の諒賢はそう思えるようになっていた。
 それでも、瞼に浮かぶ七菜の笑顔は、諒賢の月への名残を断つのに十分だった。
「これで帰れますね」
「でも、予定より遅れていることには変わりない」
「シャトル・は速いんでしょう?」
「たかが知れてるさ」
 久住の言うことは尤もだった。悪あがきだというのはわかっていたが、それでも諒賢は一縷の望みに賭けたかった。
「今年でクリスマスが終わるわけじゃないんだ。無事帰還できることを喜べよ」
 月面の整備された道路を行く黒い点が見えた。強烈なコントラストで、クレーターの形がいやになまめかしく思える。
「・・・二十歳なんです。今年のクリスマスで・・・彼女・・・」
 諒賢は、凍り付いたように窓の外を見つめていた。
「今年になって、ろくに日本にすらいなかったから、せめて誕生日くらい、って思ってたんですけど・・・」
 久住は、窓に背を向けてもたれかかった。腕組みをして、深く目を閉じた。
「・・・他人事だから言うわけじゃないが・・・、このくらいで別れるようなら、例えクリスマスに予定通り帰れたとして、・・・お前達の未来、そんなに明るくないぞ」
 今日初めて、諒賢は先輩である久住に対して、嫌悪の情を顕にした。新入生の頃から、互いに同じ実験テーマなのでずっとパートナーを組んでやってきたが、今日ほど彼の皮肉が諒賢に突き刺さったことはなかった。
「どういうことですか・・・」
 諒賢は、努めて平静に振る舞って、久住の言葉を待った。
「・・・誕生日やクリスマスも大切だろう。二人で一緒に過ごしたい気持ちもわかる。だがな、その他の、なんでもない普通の日だって、大切なんだよ。イベントの力を借りないと心をつなげられないのなら、二人の間に愛などないさ。・・・そんなもの、放っておいても・・・」
「彼女のね、・・・彼女の二十歳の誕生日は、一度しか来ないんですよ!」
 言い過ぎたなというのは、久住にはとっくにわかっていた。拳を握り締めた諒賢を見たとき、殴られてもしょうがないなとも思ったが、諒賢はそれをしなかった。
 荒々しい足音が遠退いた満員の展望室で、久住は言い様のない孤独感に襲われていた。

 薄青い空に、白く透き通った三日月が浮かんでいた。
 サブ・シティのターミナルに設置されている大きなモニターに、雪化粧をした外の景色が映しだされている。
 気温はマイナス八度、積雪も一メートルを越え、地上の通行は一部で制限されていた。
 大部分の都市が、今ではその中枢機能を地下都市に委ねている。地球環境の著しい変化とともに、宇宙開発の必要性が各方面で叫ばれてきた。やがて、地球の外へ人類が移り住む時が来るだろう。
 およそ、七菜には関係のなさそうなことのようだった。
「ルリ、お昼いこうよ」
 本当の季節に合わせて、サブ・シティの気温も調整されている。自然さを出すため、ある範囲で日毎に温度を変えている。いつもより少し寒い月曜日だった。
「何食べる?」
「あったかいものがいいな」
 オフィスからは少し離れるが、おいしいそば屋を瑠璃が知っているというので、その店に向かった。
 天井の低い旧地下街の網の目のような道をしばらく歩いて、瑠璃が指を立てた。
「ここ、ここ」
 一気に昭和までタイムスリップしたような木造の店構え、紺地に白で屋号がくねくねっと書かれた暖簾をかきわけ、格子戸を引き開けると、威勢のいい声が出迎えた。
「で、あんたの彼氏は、月くんだりまで行って何をしてるわけ?」
 どろん、とたっぷりとろろが盛られた山かけそばに、温つゆをかけてひとしきりこねくり回してから、七菜は答えた。
「なんだっけ、・・・流星通信の予備研究とか言ってた」
「なにそれ、雑誌みたいね」
「流れ星が、通信衛星の代わりになるらしいの。コストがすごく安くなるって」
「へえー」
 そばの上に乗っている鯡を一口かじって、瑠璃はずずっとそばをすすった。二人とも、普段よく行く区域から離れているので、何の気兼ねもない。
「じゃ、お星さまと話すんだ」
「・・・おそばには似合わないセリフね」
「・・・そうね」
 少し場違いなグリーンの制服の二人が、湯気の中に見え隠れしていた。

 外を見たところで、実際のところ何もわからない。ただ、だんだん小さくなっていく月を見たときは、その途轍もないスピードに足が震える。
 七菜に知らせる時間は、刹那もなかった。ステーションポートに到着すれば、何かできるだろうと諒賢は思っていた。
 月からやってきたSTS・の意外な広さに、皆が驚いていた。従来のSTSと違って、機体が自由に設計できるため、人間が過ごす区域のほとんどが人工重力ブロックになっている。快適な設備に誰もが満足していた。
 LDAの計らいかお詫びか、学生達には個室が与えられ、ステーションポート到着までにもう研修の疲れは癒えそうだった。
 諒賢は、いつも展望室にいた。ここは、モニターで外の様子が映しだされ、カメラを切り替えることもできる。
 遠ざかる月、いつもの大きさに戻っていく月を見ながら、諒賢は様々な思いを巡らせていた。
「どうした、布瀬君」
 諒賢は、坂延教授の声に振り向きはしたが、会釈しただけでまたモニターを見つめた。ここしばらく、作業服を来た人間しか見ていないので、着物を崩したような教授の私服が、いやに新鮮に見えた。諒賢も、ジーンズのフィット感が心地好かった。
「・・・ほんの少しだが、予定より遅く到着するらしいよ」
「・・・そうですか」
「クリスマスには、間に合わないね」
 諒賢は、モニターを地球方向に切り替えた。
「・・・久住君と一戦交えたそうだね。聞いたよ」
「・・・すいません」
「いやいや、実験中なら困り物だが、終わった後なら構わんさ」
 手のひらに収まるほどの青い地球が、モニターに映った。
「君と久住君のチームが、一番成果を挙げたようだね。よくやったよ」
 諒賢は、その地球に手を重ねた。
「人工的に流星を作り出すという発想もなかなかだし、流星通信は、現時点ではまだ確度に問題があるが、必ず将来、通信手段の主流になり得るはずだ。期待してるよ」
 諒賢の肩を叩いて、教授は展望室を出ていった。
「・・・そうだ!」
 モニターに映ったままの地球が、次第にその姿を大きくしていた。

 カレンダーの赤い丸は、もうとうに過ぎていた。電子メールを最後に、諒賢からの連絡は途絶えていた。もう一つの赤い丸も、明日に迫っている。
 何もできない自分に、七菜は待つことだけを言い聞かせてきたが、希薄になっていく諒賢への思いまで、どうすることもできなくなってしまっていた。
 街は、イヴの盛り上がりが目に痛いほどだった。いつ来るかわからない連絡を家でじっと待つより、賑やかな場所で人に紛れていたいと七菜は思った。
 週末までの四連休、長い休みになりそうな予感がしていた。晴れ渡った空に、月はなかった。
「今日みたいな日に一人だなんて、わけあり?」
 七菜は、立ち止っていた。
 彼が、諒賢に似ていなければ、立ち止ることもなかっただろう。いや、似ていると思いたかったのかもしれない。薄れていく諒賢のイメージは、彼のものと擦り替わっていた。

 諒賢の部屋の前に、心配そうに久住が立っていた。
「あ、教授、スタッグマイヤーさん」
 慌てた様子で、二人が走ってきた。
「どうした?」
「返事がないんです。中にいるのは確かなんですが」
「任せて」
 スタッグマイヤーは、胸ポケットからカード状のマスターキーを取り出して、ドアの切り込みに通した。
「布瀬!」
 久住が真っ暗な部屋に入ると、コンピュータの端末の前で、諒賢は一心不乱に計算をしていた。
「とっくに下船案内が出てるんだぞ、おい」
「・・・できた・・・」
 目の下が、まるで塗りつぶしたように黒く隈取られ、諒賢はディスクを抜くとふらふらと立ち上がった。
「・・・久住さん、人工流星のサンプル、積み込みましたよね?」
「あ、ああ、テストするのに、どの道持って来なければならないから、三つばかり積んだはずだぞ」
 諒賢は、力なく笑って頷いた。
「・・・行きましょう、下船でしょう?」
 呆気に取られている三人を尻目に、手荷物を持った諒賢はふらふらと部屋を出ていった。
「一体どうしたんだい、久住君」
「はあ、・・・どうも、ずっと徹夜で何か計算していたようなんですが・・・」
「そういえばリョーケンは、ステーションポートの軌道要素や、船外作業モジュールのマニュアルデータを提供して欲しいって・・・」
 ステーションポート着は、GMT十二月二十四日、八時二十三分だった。

 臨海地域のイルミネーションさえも、クリスマス気分で浮かれているように揺れていた。
「ひどいよな、君の彼氏も。わかるよ、その気持ち」
 車の助手席で、七菜は夕暮れの空を見つめていた。
「遠くの恋人より、近くの他人さ。今夜は楽しもうぜ」
 ブレーキに、七菜の身体が前後に揺れた。
「ちっ、やっぱ渋滞か。考えてることはみんな同じだな」
「星の見えるところへ・・・」
「えっ?」
「・・・星の見えるところへ、連れてって・・・」
 白く透き通るような七菜の横顔に、男はステアリングを切った。

「OWMを貸して欲しい?」
 ステーションポートに降り立つなり、諒賢はスタッグマイヤーに詰め寄った。
「お願いします。もう時間がないんです」
 船外作業モジュール(OWM)の操縦は、月に降りた時に一度使った。万全を期すためマニュアルデータを借りて、頭の中に叩き込んである。
「納得のいくように説明してくれない?、そうすれば・・・」
「プレゼントです。・・・彼女への、プレゼントです」
 スタッグマイヤーは、諒賢の生き生きした瞳を見た。研修の時には決して見られなかった、きらきらと輝く瞳を。
「OK、わかったわ。ただし、操縦はあたしがやります。ここは地球にも近いし、初心者では、重力に引っ張られる可能性もある」
「あ、ありがとうございます」
「さあ、早速詳しいミッションを訊かせてくれない?」
 二人して格納庫へ消えていくのを、久住はただ呆然と見送るに過ぎなかった。
「・・・どこまでもめでたい奴め・・・」
 久住は、慌てて彼らの後を追った。

「とっておきの場所があるんだ」
 車は、高台の上で停まった。欝蒼と茂る木々に阻まれて夜景は見えないが、星空はぽっかりと頭上に広がっていた。
 男は、車の幌を畳んだ。
「ちょっと寒いけど」
 見上げた空には、無数の星と、半分欠けた月が浮かんでいた。
「・・・あそこにね、諒賢がいるの」
「忘れろよ、そんな奴・・・」
 男の手が、七菜の肩に回った。機を図ったかのように、七菜のバッグから呼び出し音が聞こえた。
「はい、もしもし」
 傍らで、男が舌打ちをした。
『・・・もしもし、七菜、聞こえるか?』
「!、諒賢?、諒賢なのね?、今どこ?」
 しばらく応答はなかった。七菜は、車を降りて星空を見回した。
「どこなの?、ねえ」
『・・・強制割り込みしてるから、残念だけど君の声はこっちには届かない。七菜、もし俺の声が聞こえたら、空をずっと見ていてくれ。クリスマスと、誕生日のプレゼントをあげるから、受け取ってくれ・・・』
 受話器を耳に押し当てたまま、七菜はじっと空を見上げた。
「何やってんだよ、早く・・・」
「あっ、あれは・・・」
 車から降りた男が振り向くと、夜空を真っ二つに切り裂くように、まばゆい光の筋が頭上から流れていった。
「な、な、なんじゃありゃ!?」
「・・・流れ星?」
 男は酷く驚いて、車に戻った。
『もう一つ』
 諒賢の言葉のすぐ後に、青白い大きな流星が同じコースで流れていった。
『ラスト!』
 一際大きな、しかも今度は真っ赤な流星が流れて、薄い痕跡を残して消えていった。
『・・・もうすぐ、もうすぐ帰るから、待っててくれ。じゃ、メリークリスマス・・・』
 七菜は、流星の消えた空を見つめながら、受話器を畳んだ。
「・・・まいったな、・・・大した彼氏じゃねえか」
 男はかぶりを振って、助手席のドアを開けた。
「駅まで送っていくよ」
 シートを前に倒して、七菜を後ろの席へ促した。
「・・・あーあ、今年もツイてねえや」
 車の幌が、ゆっくりと広がっていった。

「・・・うまく、いったかな・・・」
 オペレーションルームで、モニターをぼんやり見つめながら諒賢は呟いた。
「お前の声は届いたはずだ。あとは彼女が聴いてくれていたかどうかだが・・・」
 レシーバーを外して、久住は諒賢の肩を叩いた。
『大丈夫よ、リョーケン』
 脇の小さなモニターに、宇宙服を着てモジュールのコクピットにいるスタッグマイヤーの姿が映った。
『きっとうまくいったわ。クリスマスだもの』
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