1995

NO FINDER

 右足の高い位置の蹴り、決まらず。
「・・・お前の、言うことも、わかるけど、さあ・・・」
 がら空きの懐に、左右の突きが連続して決まる。
「・・・もう、俺の中では、決まった、ことだ」
 起き上がりざまの回転蹴りは、空振りに終わる。
「森山の、言うことも、聴いて、やれよ」
 連続の突きから、回し飛び蹴り。
「フォトコン、一本に、絞るからな、俺は。学園祭用には・・・」
 最後の強烈な飛び蹴りは、相手の身体をくの字に曲げた。
「決まったぁっ!」
 木島陽一の操る忍者は、ゆっくりとスローモーションで地面に叩き付けられた。坂巻玄太郎操る中国系拳闘家が、そばで誇らしげにガッツポーズをとっている。
「くそっ、・・・学園祭用には撮らないからな」
「もう一回やるか、木島」
「行くぞ部長。ゲームしに来たんじゃないんだ」
 尻のポケットに突っ込んでいた帽子を被って、陽一は先にゲームセンターを出た。
「お前が入ろうっつったんだぞ」
 短く刈り込んだ頭を掻きながら、玄太郎は未練がましそうに席を立った。
「あんなにごちゃごちゃ言うんだったら、森山に副部長任せなきゃよかったんだよ。縛られたくないとかなんとか言うから」
 陽一は無言で答えた。
 駅前の賑やかな通りを、薄着で出てきたのを少し後悔しながら、陽一は両手をジーンズのポケットに突っ込んで歩いていた。後ろから、分厚い胸板を包んでいるジャケットをわしゃわしゃ言わせながら、玄太郎がついてきている。
「・・・空が、高くなるってのはほんとだな」
 街の隙間から覗く空を見上げて、陽一が呟いた。
「お、いいねえ」
 玄太郎は立ち止ると、ポケットからコンパクトカメラを取り出して、シャッターを切った。
「“敗者の憂い”ってとこか」
「うるせえや」
 陽一がふざけて繰り出したパンチを、玄太郎の掌が受けとめた。玄太郎には、心なしかいつもより力が入っているように感じられた。
「お」
 急に立ち止った玄太郎に、陽一は舌打ちをした。
「なんだよ」
「あれあれ」
 素早く街路樹の陰に隠れながら、玄太郎はカメラを構えた。
「スパイかお前は。・・・なんだよ」
「あそこ、向こうの喫茶店の前」
 玄太郎が言った場所には、一人の女の子が人待ち顔で立っていた。
 藍に近い青のロングスカートに、同系色のカーディガンの下は白いフリルブラウス、たぶん長い髪を上にまとめて、小さな黒いバッグを身体の前で提げている。
「遠すぎてわかんねえよ」
「よし、こんなときは・・・」
「出た・・・、必殺テレコンバージョン・・・」
 呆れている陽一を尻目に、カメラの前に何やらもう一つレンズのようなものを取り付けて、まるでスナイパーみたいに木にへばりつきながら、玄太郎は二度三度とシャッターを切った。
「それじゃタクヒロと同じじゃねえか」
「あんなやつと一緒にするな。こっちは志が違う」
「おんなじだと思うけど」
 シャッターチャンスとみればなりふり構わない玄太郎に、通行人の不審な視線が注がれ始めたのに、陽一は気付いた。
「おい、先行くぞ」
 玄太郎は返事もせず、スパイ活動に没頭していた。陽一は、そそくさとその場を離れて、今日の目的のカメラショップに入った。
「いやー、一本使っちまった」
 ほどなく、玄太郎も満足そうな顔で入ってきた。
「全部撮ったのか?」
「あがりが楽しみだぜ」
 その足で玄太郎はDPEのカウンターへ赴いた。
「・・・大したやつだよ・・・」
 陽一は、ここへ三脚を買いに来ていた。安売りの時期を待って、夏休みのバイト代を全額下ろしてきたのだ。
「あったか、目ぼしいの」
「んー、思ったより安くなってないな・・・」
「無理して買うこともないと思うけど」
「ん、そうだけど、いつまでも借り物ってわけにもいかんだろー」
「森山んとこのおじさんか?、うーん・・・」
 納得して、玄太郎は他の売り場に消えていった。
「んー」
 陽一は一人唸りながら、三脚売り場を何度も行ったり来たりしていた。上を見ればほんとに切りがないが、あまり安物で妥協するわけにもいかない。顧問も、出来るなら安物は買うな、って言ってたし。
「・・・やっぱり、今日はいいや」
「そっか、じゃもう一回ゲーセン行こうぜ」
「好きだなあ、ったく」
 新しく買ったフィルムの箱を放り上げながら、玄太郎は先に行った。
「あ、坂巻君」
「げっ!」
「木島君も?」
「あっ!」
 驚いたのは、入り口で鉢合わせた森山由布にではない。隣にいた女の子にだ。先刻、玄太郎が躍起になってシャッターを切っていた、その子なのだ。
「よ、よお、副部長、今日も相変わらず」
「どー言う意味よ」
 玄太郎は、素早く自動ドアの隙間を抜けていった。
「ちょっと!」
 後に続こうとした陽一の腕を、由布はぐっと掴んだ。
「いてて、な、なんだよ」
「偶然会って驚いたのはわかるけど、それにしては少し大袈裟じゃない?」
「か、考えすぎだよ」
 慎ましく微笑む女の子と、陽一は目が合った。
「はは、こんちわ」
 帽子のひさしを軽く握って会釈すると、向こうもそれに倣った。
「・・・いつまで掴んでんだよ、放せよ」
 囁くように言うと、陽一は由布の腕を振りほどいて店を出た。
「明日くらい来てよね!」
 陽一は、おどけた調子で手を振ってごまかした。
「あー、びっくりした」
 建物の陰で、玄太郎が胸を押さえて息を整えていた。
「死ぬかと思った」
「疾しいことをするからだ」
「お前だってびっくりしてたくせに」
 理由が違うよ、と陽一は思ったが言わなかった。
「な、かわいかっただろ?」
「あ、ああ、確かに」
「森山と一緒にいたってことは、うちの学校かな。・・・いや、中学の同級生ってこともありうる。あるいは幼なじみとか・・・」
 あれこれ考えを巡らせる玄太郎とは対象的に、陽一は腕組みをしてすっかり考え込んでしまっていた。
「どうしたんだ、木島」
「・・・ん・・・、いやさ、・・・どっかで見たことあるような気がしてさ・・・」
 玄太郎は、しばらく考え込む木島を待った。
「だめだ、思い出せない」
「あー、いらいらすんなー。よしっ、ゲーセン行ってすっきりしよう」
「・・・なんでそうなるんだ」
 陽一はまだ考え込んだまま、当然、ゲームにはとうとう勝てずじまいだった。

 テスト休み明けの金曜日、私立普門学園高校では、午後の時間を使って学園祭に向けてのクラブ別ミーティングが行なわれた。
 部の運営は全て生徒の自主性に委ねられているため、大学のサークル的な性格も合わせ持っている。一見、楽そうに思えるが、活動内容がそのまま予算につながるので、生き残り競争も激しい。
 今年は、三年生部員がいないので実権は二年生が握っているが、以前からの実績を認められていて、他の文科系クラブと比べてもかなり優遇されている。教室並みの広さの部室には暗室や冷蔵庫、現像作業時の着替えや個人の荷物を入れるロッカーまで備えられている。
 それだけ部員にかかるプレッシャーも大きいはずだが、今のところそれを感じているのは由布くらいだった。
「あれ、2号しか来てないの?」
 由布は少し早めに来たが、部室にいたのは一年生部員の宮田麻記ただ一人だった。
「そうなんですよ。1号の教室寄ったんですけど、いなくて・・・」
 丸い眼鏡の奥のつぶらな瞳が、奥のテーブルで心配そうにうろうろしていた。
「そう・・・、しょうがないわね、部長まで来てないなんて」
 一年の女子部員は二人、奇しくも同じ名前なので、親しみを込めてそれぞれまき1号、まき2号と呼ばれている。
「部長、先刻鞄だけ置いて出ていきました」
 2号の背にあるロッカーの一つが半開きになっていた。
「暗室、誰かいる?」
 使用中を示す赤いランプがついている。
「先生です」
「あ、そう」
 ほどなく、咥え煙草で暗室から太田秀雄写真部顧問が出てきた。
「先生、禁煙って言ったでしょ!?」
「おお、来てたか、すまんすまん」
 昔、山男だったらしく、顔の下半分を覆う髭にその名残がある。テーブルに備え付けの流しに煙草を捨てると、持ち出してきた写真を二人のところへ持ってきた。
「一年生ながら、なかなかやるよヒロシのやつ。見てみな」
 机に置かれたまだ湿っている写真を由布とまき2号は覗きこんだ。
「上谷君が撮ったの?」
「へえ、・・・この辺のフレーミングがなかなか決まってますね。ね、森山さん」
「そ、そうね」
「それに、この陰影の具合・・・、坂巻さんが“モノクロのヒロシ”というのも無理ないですね、ね」
 由布が返答に困っていると、その上谷浩ともう一人の一年生川合隆広が揃ってやってきた。
「おはようございまーす」
 背の高さも対照的な二人だが、髪を伸ばしてすかした感じの隆広と、一歩間違うとやばいかなって感じの、しかし山椒は小粒でぴりりと辛い的要素を持っている浩、それぞれ違いはあるが、志は同じものがある。
「ちわーっす、あれ、森山さん、先刻部長が探してましたよ」
「そうなの?」
「ええ、なんでも、ちょっと遅くなるから、先にやっててくれって」
「そう、・・・あ、ねえ上谷君、1号知らない?、同じクラスよね」
「あ、1号なら廊下で、タクヒロみたいなナンパそうな野郎に引っ掛かってましたよ」
「うるせ」
 それを聞いて、全員が「またか」といったような溜息をついた。
「ちょっと行ってくるか」
「先生、あんまり生徒のごちゃごちゃに口出さないほうがいいっすよ」
「ばか、それも教師の仕事だ」
 先生は肩をいからせて部室を出ていった。隆広はばつが悪そうに舌を出すと、ロッカーに荷物を入れた。
「あれ、これ僕の写真」
「今みんなで褒めてたの。ね、森山さん」
「そ、そうね」
 浩は、その写真を不満そうに翳すと、机に放り投げるようにして置いた。
「これフレーミング失敗してるんだよね・・・」
 由布と2号は顔を見合わせて、お互いに肩をすくめた。
「木島さん、まだ来てないんすか?」
「いくらなんでも今日は来てもらわないと」
 二人は、手前のテーブルに座った。
「お、なんだ、まだやってないのか」
 息を切らせながら、玄太郎が入ってきた。一年生がコーラスのように挨拶をする。
「木島は?、まだ来てないのか?」
「見ればわかるでしょ。それより、どこ行ってたの?、部長なんだからちゃんとしてよね」
「わかったわかった」
 口だけの返事というのが、由布にはありありとわかった。
「タクヒロ、ヒロシ、ちょっと来い」
 呼ばれた二人は、怪訝そうに玄太郎の後について暗室に入った。玄太郎がにやにやしていたので、怒られることはないと二人とも思っていた。
「・・・何でしょうね?」
「どうも昨日からおかしいのよね、あいつら」
 由布は、三人が消えた暗室を睨みつけた。
「すいませーん、遅くなりましたー」
 まき1号こと、新庄真紀が一人で部室にやってきた。
「1号、今日も決まってるわね、前髪」
「えー、そおー?」
 指で髪の端を摘みながら、1号はロッカーに荷物を置いた。
「先生は?」
「あ、今、後片付けしてくれてますー」
「どーゆー意味よ・・・」
 由布は頭を抱えた。
「いいっすね、いいっすよ」
 歓声をあげながら、暗室から三人が出てきた。
「な、いいだろ」
「今度モデルに使いましょうよ。1号もかわいいけど、あれじゃ清純さに欠けるんだよなあ」
 あ、と言った口のまま隆広は、今にも泣き出しそうなまき1号に気付いて、日焼けの残る浅黒い顔からも血の気が引いていったのがわかった。
「・・・なにそれー、ひどーい」
「いや、ち、違うんだよ、そういう意味じゃなくて」
 磁石の同じ極同士が反発するように、隆広が顔色を伺おうとするたびに1号は顔を逸らした。
「調子いいよなあ、ほんとに」
「あれはあれで立派な武器だぞ、ヒロシ」
「そうですけど・・・」
 浩は、玄太郎に肩を叩かれて、うなだれながらまた暗室に戻った。
「ちょっと、坂巻君」
 玄太郎は、持っていた写真を後ろに隠した。
「は、はい、なんですか、森山さん」
 玄太郎の顔を見上げるように、由布が詰め寄ってきた。
「なにがいいのか説明してちょうだい」
「い、いや、あの・・・」
「誰をモデルに使うって?」
「だから、その・・・」
 後ろに回り込んだ2号に、玄太郎は気付かなかった。
「あっ、こら」
「はいっ、森山さん!」
 してやったりといった表情の2号から写真を受け取ると、由布は眉を顰めた。
「・・・昨日撮ったのね。・・・タクヒロみたいなことして」
 呼ばれたような気がして、隆広はきょろきょろしたが、1号をなだめるので手一杯だった。本当はタカヒロだが、アイドルのパンチラなど、女の子の被写体しか興味がないので、みんなは親しみを込めてオタクのタカヒロ、でタクヒロと呼んでいる。
「・・・あ、わかった、それであんなに驚いてたのね二人とも」
「そういうこと」
 手を差し出した玄太郎に、由布は渋々写真を叩き返した。
「でさ、質問があるんだけど、・・・この子誰?」
 いつもは愛嬌のある下がりぎみの目尻も、このときばかりはキッと玄太郎を睨んでいた。
「おはよーっす」
 陽一が、鞄を肩に乗せてやってきた。
「こらタクヒロ、また1号泣かしたのかっ」
「違いますよ、そんなんじゃないっすよ」
 隆広の頭をこつんとやって、陽一はロッカーに荷物を放り入れた。
「何やってんの、部屋の真ん中で二人向かいあっちゃって」
 由布は気付いて、くるりと踵を返した。
「出来たぞ」
 玄太郎は、例の写真を陽一に見せた。
「お、あのテレコン結構寄れるもんだな、うん、やっぱりかわいい」
「だろ?」
「な、由布、彼女、知り合いなのか?」
 二人に背を向けたまま、由布は言い捨てるようにした。
「そのうちわかるわよ」
 そのまま、2号と隆広になだめられている1号のところへいって、隆広の頭をこつんとやった。
「怒らせたのか?」
 玄太郎は、「お前だろーが」と声に出さずに言った。
「ん、誰んだ?、この写真」
「あ、それ、上谷君のです」
 2号が跳びはねるようにやってきた。
「へえ、なかなかいいじゃん」
「いいでしょう?」
「もうちょい右にフレーミングしてればの話だがな」
 また2号は肩をすくめて、もといたテーブルに帰っていった。
「で、撮影者はどこいった?」
「トリミングでもしてるんじゃねえか?」
 親指で暗室を示しながら、玄太郎が席についた。
「ヒロシー、全員揃ったから出てこいよ」
 どこか元気のない浩の背中を叩いて、木島も席についた。ちょうど、太田先生も後片付けから帰ってきた。
「よし、みんないるな。ミーティング始めるぞ」
 なぜか先生は、右を向いて話し始めたが、誰も赤く腫れた頬のことを言わなかったのは、優しさの現われだろう。
「今年の出しネタだが、大きくわけて二つある。まず一つは、毎年やっている運動部と提携してる写真展だな。これは今まで撮った中から選ぶわけだが、ダブルまきを中心に一年全員でやってもらおう。だいたい五、六十枚くらいでいいや」
 写真撮影よりも批評が得意な2号も、こればっかりは1号と同じように顔を歪めて不快感を示した。
「もう一つだが、今年は個展をやりたいと思う。二年の連中には、もう動いてもらってるが、一年生も忙しいとは思うが負けずにいい作品を撮って欲しい。以上、俺が言うことはこれくらいだが、何か、あるか?」
 由布がすっと立ち上がった。
「撮影会の引率の件ですけど・・・」
「お、早めに言ってくれれば、空けとくぞ」
「早速、今度の日曜日あたり・・・」
「だから早めに言えっつーの。・・・わかったわかった、なんとかしよう」
「・・・どうせデートする相手もいないくせに・・・」
「なんだ、木島、文句あんのか?」
「いえ、ありません。よろしくお願いします」
「お前、なんかもめてるらしいけど、せめて撮影会くらい来い。一本に絞りたい気持ちはわかるが、両立できないことでもないぞ」
 陽一は、憎らしそうに舌を出している由布を横目で見ながら、渋々返事をした。
「じゃ、坂巻、後は任して、いいか?」
「はい、わかりました」
「よし、とりあえず今日はこれで解散。何かあったら教員室まで来いよ」
 部室から出る際に「帰るときもだぞ」と付け加えて、先生は出ていった。
「じゃ、もう少し細かく説明しておこうか」
 玄太郎が、咳払いを一つしてみんなの前に立った。
「一年のやる仕事は、まず総体や県大会なんかで撮った運動部関係の写真の選出、もうこれは任せるから、しっかりやって欲しい。カラーはラボに出すけど、当然、モノクロはリプリントだからそのつもりで。スケジュール立ててしっかりとやってください。それと、個展ですが、今までに撮ったやつ、あるいはこれからも撮影会をするので、その中から自分の気に入ったものを選んで出してください。パネル製作やDPEなんかで経費がかかると思いますが、領収書をちゃんともらって、森山大蔵大臣までその都度申請してください。予算はたっぷりありますが、あまり無駄遣いはしないように。その他、質問は随時誰か捕まえてしてください。ここまでで何か質問は?」
 隆広がすっと手を挙げた。
「個展ですけど、何枚くらい出せばいいっすか?」
「一年は、四、五枚程度で予定してます」
「一年は、ということは、先輩方は枚数が違うんですか?」
 浩の質問に、玄太郎が由布に伺いを立てた。
「説明しちまうか?」
「そうね、説明しときましょう」
「二年はね、今回個展をメインに考えてます。今のところ、一人三テーマくらいで、だいたいどれくらいになるかな、五十枚くらいかな」
「ひえーっ」
 一年が感嘆するのはわかるが、陽一も同じように驚いていた。
「なんでお前が驚くんだ」
「聞いてないぞ」
「言ってないだけよ」
 陽一は、かぶりを振って肩をすくめた。
「かなりばたばたすると思うんで、暗室のスケジューリングとか、現像材料の管理とか、本来は俺達の管轄だけど、みんなでね、しっかりやっていきましょう」
「はーい」
「副部長、なんかある?」
 玄太郎が言い終わる前に、由布はもう立ち上がっていた。
「そのスケジュールのことですけど、だいたいのアウトラインをこっちでつくりましたので、これに従う感じでやってください。あとで持ってきます。以上、ミーティングに関しては終わりです。えー、それで、今日はこれから下準備ということで、一年生のみなさんには楽しい買い出しに行ってもらいます」
「わーい」
 四人の一年生は、遠足気分でそれぞれに出かける準備を始めた。授業中に合法的に外に出られるというのは、仮釈放みたいで嬉しいものだ。
「森山、ついでになんかお菓子でも買ってきて」
「ごめん、坂巻君ついていって」
「え?、俺が行くの!?」
「ちょっと用事があるの」
「あ、じゃ俺が行くよ」
「木島君にも用事があるの」
 怪訝そうな顔をして、陽一は再び椅子に座った。
「よーし、じゃ買い出し部隊出発!」
「無駄遣いしないでよ」
 わいわい言いながら、写真部買い出し部隊が出ていった。今まで賑やかだった分、静けさが倍増して訪れた。
「・・・何だよ、用事って」
 陽一は、先刻からずっと奥のテーブルの席に座ったままだ。
「ん、ちょっとね・・・」
 手持ちぶさたなのかどうか知らないが、由布はしきりに時計を気にしていた。陽一に背を向けたまま、手前のテーブルに腰掛けて、所在なげに膝から下をぶらぶら揺らしている。
 何かを待っているときに、耳の辺りの髪をかきあげるのはあいつの癖だったな、と陽一は思った。小さな頭を包むように、伸ばし掛けの髪はクリーム色のブラウスの襟に届かずにいる。
 急に静かになって、陽一はどこか不安気だった。二人だけ残されて、しかもお互いに仲たがい中ときていれば、別段話すこともない。
「・・・俺、暗室にいるからさ」
「ちょっと待って」
 由布は、テーブルから飛び降りてから、制服のフレアスカートの裾を気にした。
「見てくるから待ってて」
 陽一の返事も聴かず、由布は部室を出ていった。
「・・・なんなんだよ、ったく」
 立ち上がろうとして浮かせた腰を、また椅子に沈めた。ロッカーにもたれ、足をテーブルの上に投げ出した。
「・・・どういうつもりなんだ」
 ノックらしい音が聞こえたが、気のせいにした。
「あの・・・すいません」
 違ったようだ。入り口の扉から、か細い声が聞こえた。
「はい、どうぞ」
 陽一は立ち上がると、その方へ進み出た。同じくして、声の主も中に入ってきた。
「あの、森山さんは・・・」
 彼女はそう言ってから、陽一に気付いたようだった。そのことに、陽一も気がついた。
「あ、昨日の・・・」
 昨日の印象より、背が高く思えた。レモンのような形の眼は、すっと延びた細めの眉の下で少し吊り上がって、それでいて柔らかな印象があった。きゅっと結んだ唇がなんとなく無邪気そうで、ポニーテイルがそれに輪をかけていた。
「こんにちは、2-Dの大木場っていいます」
「あ、どうも、2-Cの木島です」
「あはっ、なんか、変な挨拶ですね、会社みたいで」
 とりあえず陽一は愛想よく笑った。それよりも、“おおこば”という響きに、何か懐かしいような感じを覚えていた。
「いない、みたいですね・・・」
「あ、たぶん、じゃ、探しにいったのかな、すぐ戻ってくると思うから座って待ってて」
 陽一は、近くの椅子を勧めた。
「すいません、じゃ・・・」
 彼女は、こちらを向いて座った。
「昨日、一緒にいた人は、部長さん?・・・」
「うん、うちの部長の坂巻だけど・・・」
 納得したように、彼女は何度も頷いた。
「あの、大木場さん、だっけ?、・・・」
 次に続くはずの在り来たりな質問は、陽一の中で消し飛んだ。“おおこば”という響きが懐かしい原因を、陽一は口に出してみて思い出した。
「・・・里菜ちゃん?」
 彼女は、身体をびくつかせて驚いた。開いた口を押さえるのも忘れて、じっと陽一を見つめた。
「やっぱり!、憶えてないかな、ほら、幼稚園のとき・・・」
 急に陽一は、捲し立てるように早口になった。
「・・・嘘・・・、陽ちゃん・・・?」
「そう、陽一だよ!」
「ほんとに陽ちゃんなの!?」
 二人は思わず手を取り合っていた。
「うわあ、久しぶりねー」
「ほんとだ、すっかりきれいになって・・・」
 里菜がはにかんだように目を伏せたので、陽一は今突いて出た言葉を反芻した。
「いや、その、・・・お互い、大きくなったね」
「ほんとね」
 陽一は里菜の隣へ来て、テーブルに腰掛けた。
「まさか、ここで会うとはね。由布とは、友達?」
「うん、クラスも一緒だし、中学も同じなの」
「Dだっけ?、あ、そうか・・・」
 由布と呼んでしまっている自分に、陽一は気がついた。
「あいつ、なんか企んでるみたいだけど」
「あ、それなんだけど、言ってもいいよね・・・、あのね、撮影をお願いに来たの」
「撮影?、なんの?」
「あのね、あ、・・・あたし演劇部なの。それでね、今度学園祭でお芝居やるんだけど、由布ちゃんがね、・・・ごめんなさい、なんだか、ドキドキしちゃってる」
 陽一までなんだか苦しくなりそうで、里菜は胸を押さえて話を続けた。
「由布ちゃんがね、稽古風景を撮らせて欲しいって言ってきたの。それじゃついでに全部撮ってもらって、展示でもしようかって話になって、もう一人部員連れてくるからって・・・」
 里菜は、言い終わって大きく深呼吸をした。
「それで、俺に・・・、なるほどね」
 陽一は腕組みをして、事の次第を頭の中で思い出した。
「あ、そういえば、里菜ちゃんそういうの好きだったね、お姫様の役とか、幼稚園のおゆうぎ会でさ」
「よく憶えてるね」
「みんな憶えてるさ」
「みんな・・・?」
 自然とついてでる台詞に、先刻から陽一は困らせられている。でも、あの頃の想い出は、それなりに忘れられない理由があった。
「ねえー、誰か来なかっ・・・あ、なんだ、来てたの?」
「あ、由布ちゃん」
 里菜は素早く立ち上がると、由布の許へ駆け寄った。
「ね、もう紹介済んだ?」
「うん」
「とっくの昔にな」
 由布の呆気にとられた顔が、陽一には愉快だった。

「・・・いいんすか、坂巻さん?」
「なにが?」
「二人っきりにしといて」
「誰を?」
「森山さんと木島さんっすよ」
 隆広は、お菓子のいっぱい入った黄色い買物かごを持ちながら、じれったそうに言った。
「いいんだよ、あいつらが喧嘩したくらいで潰れる写真部じゃねえよ」
「そうじゃなくて」
 辺りに誰もいないのを確かめてから、隆広は耳打ちするように玄太郎に近寄った。
「みんな噂してますよ、あの二人。・・・出来てるって」
「ん、知らなかったのか?」
「へ?」
「俺も確信があるわけじゃねえけど、一年の時から仲よかったぞ。たぶん付き合ってるんだろ?」
「そ、そーなんすか!?」
「あいつ、副部長のことなんて呼んでる?」
「・・・・・・あ、そっか」
「付き合ってないとしても、仲がいいのは確かだな。・・・お前はどうなんだよ、1号にやたらべったりじゃねえか」
「いや、あの・・・」
「逃げるな!」
 玄太郎のトゥキックが、隆広の尻に炸裂した。
「いでっ!」
「さっさとレジへ持ってけ」
 隆広は尻を撫でながら、身をのけ反らせてレジへ歩いていった。

「ふーん、そうなんだ・・・」
 あまり関心がないようなその由布の言い方が、陽一には少し引っ掛かった。
「小学校に上がる前に、あたしが引っ越しちゃったの」
「ああ、憶えてるよ。お別れしに行ったんだけど、普通泣いたりするよな。全然けろっとしてやんの」
 陽一が憎らし気に指を差すと、里菜は悪戯っぽい微笑みでごまかした。
「あ、いけない、じゃ陽ちゃん、撮影お願いね。いいでしょ由布ちゃん?」
 里菜は、急に慌てたように立ち上がると、両手を胸の辺りで組んで、陽一と由布を交互に見つめた。
「うん、どの道頼むつもりだったし・・・」
「ああ、俺はいいよ」
「ほんと?、ありがとう。詳しいことはまた連絡するから。ごめんね、慌てちゃって。本読み抜け出してきてるの。じゃ、ね」
 握るように手を振って、里菜は部屋を出ていった。
「・・・変わってないな・・・」
 陽一は、小さく呟いたつもりだったが、由布には聞こえていた。
「おいおいおいおい」
 どたどたと玄太郎が帰ってきた。
「い、い、今のもしかして・・・」
 鼻先まで詰め寄られ、陽一はのけ反った。
「すまん、俺、あの子知ってた」
「幼なじみなんだって」
「幼なじみだあ?、おい、詳しく説明しろ」
 必死の形相で更に詰め寄る玄太郎に、陽一は事の次第を説明した。
「・・・で、その撮影お前が入るのか?」
「俺と由布が・・・」
「よし、その撮影俺がやる!」
「あん?」
 陽一と由布は顔を見合わせた。
「もう話は・・・」
「いや、陽一はいろいろと忙しいだろうから、俺がやる」
 拳を握り締め、玄太郎は一人で力んでいる。
「今までいろんな写真を撮ってきたが、あんなに興奮したのは昨日が初めてだ。心が奪われるというか、魂が打ち震えるというか、・・・俺はもしかすると、彼女を撮るために生まれてきたのかもしれん・・・」
 玄太郎は、陽一の胸倉をぐっと掴んだ。
「木島、彼女の名前は?」
「お、大木場、里菜、だけど・・・」
「里菜ちゃんか・・・、演劇部だな、よし、後は任せろ」
 くるっと踵を返すと、玄太郎は全力疾走で部室を出ていった。
「な、なんなんだ!?」
「また悪い癖がでたみたいね・・・」
「でも、あいつがあれだけ熱くなるってのは、・・・まんざらでもないかもな」
「・・・いいの?」
 陽一は、由布を見た。先刻からいつにない無表情さが、いやに目についた。
「やるって言ってるんだから、いいじゃないか」
 由布は何か言いかけたが、賑やかな声が近づいてきたので身を引いた。
「た、ただいまー」
「うう、お、重いよー」
 山ほど荷物を抱えた一年生が帰ってきた。
「お帰りー。早かったねー」
 妙に明るいトーンで、由布が一年生を迎えた。

「ごめんね、ちょっと長引いちゃった」
 笑顔で首を振った由布が里菜と学校を出たのは、空の色が一番賑やかな時だった。
「もう、みんな帰っちゃったの?」
「部長だけ残ってたけど、もう帰ったんじゃない?」
「あ、あの坂巻さんて人ね」
「ごめんね、せっかく木島君に頼んだのに」
「ううん、なんか、みんな呆気にとられてたけど、面白そうな人だって、人気だよ」
 由布は、困った顔で笑った。
「・・・でも、びっくりしたなあ、昨日会ったときに、まさかって思ったけど、ほんとに陽ちゃんだったなんて・・・」
「今まで、学校で会わなかったの?」
「全然知らなかった。クラスも違うし、由布が撮影の話持ってきてくれなかったら、ずっとわからないまま卒業してたかもね」
 街の明かりが、まだ少し明るい空に溶け込んでいる。もうヘッドライトをつけた車が、通りの角を曲がっていった。
「・・・ねえ、由布ちゃん」
「なあに?」
 行き過ぎる車を見遣ってから、里菜は言葉を続けた。
「・・・陽ちゃんと、・・・付き合ってるの?」
 咽の奥に何かを突っ込まれたような感じがして、由布は唾を飲み下した。
「・・・ううん、別に・・・」
「そう・・・」
 早く帰りたくて、いつもは乗らない急行に由布は乗り込んだ。手を振って見送る里菜に、由布は精一杯微笑みかけた。でないと、今度会ったときに話し掛けられないような気がしたからだった。

「ただいま」
 由布の母が、カウンターの向こうで怒ったような顔をした。
「なあに、お店から入ってきて」
「裏まで回るのめんどくさいの」
 店と住居を仕切るレースのカーテンをくぐって、由布は奥に入っていった。
 カメラ屋の娘が、写真に興味を持つのはごく自然なことだ。由布も、例外ではなかった。一人娘ということを除いても、由布のアルバムの数は相当なものだった。
 着替えもせずに、由布はベッドに寝ころんでいた。里菜の台詞が、あれからずっと頭の中で渦を巻いていた。
 写真に対して、常にひたむきで情熱的な玄太郎に比べて、少し醒めたように一歩引いたところのある陽一を、最初は由布も気に入らなかった。
 ところが、みんなが撮った写真を父に見せたとき、父は陽一の写真から目を離そうとはしなかった。
『・・・こんなに思いやりのある写真は見たことがない・・・』
 ただの風景写真に何を言ってるんだろうと由布は思った。父にその意味を問うても、説明してわかるようなことじゃないと答えてくれない。それから、陽一に対する考え方が由布の中で少しずつ変わっていった。
「おーい、飯だぞー」
 襖の向こうから、野太い父の声がした。いつのまにか帰ってきていたようだ。着替えようとネクタイに手をかけたときに、襖が開いた。
「おっと、すまんすまん」
 由布がキッと睨みつけると、襖はゆっくりと閉まった。
「・・・陽一君、三脚は買ったのかな」
 襖越しに、遠慮がちに声が続いた。
「知らない。買ったんじゃない?」
「訊いておいてくれよ。わしも、秋はいろいろ忙しいんでな」
 階段の軋む音が、小さくなっていった。
「・・・関係ないわよ、あんなやつ・・・」
 スウェットのパンツとセーターに着替え、暗い階段を駆け下りた。下り切ったところに、恭しく電話が台の上に置かれている。由布は、受話器を取った。

 懐かしさのあまり、陽一の母も声を上擦らせて受話器を渡した。
「もしもし、里菜です」
 身内の話を二言三言したあと、里菜は由布からここの番号を訊いていたことを告げた。
「あれからさ、ヘンなのそっちに行かなかった?」
「うん、来た来た。みんなびっくりしてたよ」
「で、そういうことになったんだけど、いいよね?・・・。俺なんかより、あの坂巻のほうが腕は確かだし、なんたって部長だしさ」
 里菜は、小さく頷いた。
「・・・ねえ、由布ちゃんからいろいろ訊いたんだけど、学園祭で写真部一人ずつ個展やるんだって?」
「そうなんだよ、やるんだよ。あいつが、そっちの演劇部の稽古風景を撮らせてくれって言ったのも、それさ」
「陽ちゃんは、何撮るの?」
「ん・・・、俺はやらないんだ。・・・フォトコンテストのほうに力を入れるつもりなんだ」
「そう・・・、それは、何撮るか決まって・・・」
「ないんだな、これが」
 受話器の向こうで、軽い笑い声が聞こえた。
「・・・あ、ねえ、モデルとか、使ったりすることある?」
「ん、顧問の知り合いに業界の人がいて、何度かやったことあるよ」
「ほんと?、・・・もし、よかったら・・・、あたし使って」
「里菜ちゃんを?」
「一度、そういうのやってみたいの、ね?」
 陽一は、しばらく答えを濁していたが、正直なところを里菜に話そうと思った。
「里菜ちゃんがそう言ってくれるのは嬉しいんだけど、今のところ、モデルを使うにしても、背景でしか使うつもりないんだ。それに、いざ使う段になったとして、主題のイメージに合ったモデルしか使わないから、里菜ちゃんを使うかどうかも・・・」
 里菜は、消え入るような声で同意した。
「・・・ごめんね、陽ちゃん。ヘンなこと言って・・・」
「ううん、そんなことないよ、嬉しいよ。・・・あ、じゃそんなに言うんなら、里菜ちゃんを撮ってあげようか?」
「え、ほんと?」
「大木場里菜に合うイメージをつくるから、・・・うん、撮ろうよ」
「ほんとね?、社交辞令は許さないわよ」
「わかってるって」
 明るさを取り戻した声に、陽一は少しほっとした。
「いつやる?、いつでもいいぜ」
「明日」
「へ?、そりゃ無理だよ。来週は?」
「いつでもいいって言ったのに・・・」
 すねたような言い方だったが、本気ではなさそうだ。
「準備とか、イメージ創りとか、いろいろあるんだよ」
「来週から土日も稽古するから、今週しか空いてないの」
「んー、じゃ、しょうがない、明後日にして」
「わかった。・・・日曜日ね」
「詳しいことは、またこっちから連絡するよ」
「あ、じゃ電話番号教えとくね・・・」
 受話器を置いてから、同じ日に部の撮影会があったことを陽一は思い出した。さらに、三脚をまだ買ってないのと、手持ちのフィルムのないことも思い出した。
「・・・部室にあるやつ持ってくか・・・」
 これから学園祭までの間、準備期間として時間を有効に使うため、土曜日の休校時も学内が開放される。制服の着用義務もなく、生徒は自由に登校できるが、部室に充てられている場所以外の入室はできない。校門でも、保安上当直の教師が出入りを厳重にチェックする。
 一見厳しいようだが、生徒はのびのびと準備活動をしている。私服で来られるというのが、やはり楽なようだ。とはいえ、土日がしばらく潰れるのは、陽一のみならず痛いところだろう。
 写真部の記名欄には、何も書かれていない。まだ誰も来ていないようだ。
「しめしめ」
 口に出してから、それって死語だなと思いつつ、陽一は部室に向かった。目指すは冷蔵庫の中のリバーサルフィルム。昨日あれだけ補充したんだから、一つくらい失敬してもわかりゃしない。
「げっ」
「あっ」
「きゃっ」
 テーブルの上に広げたお菓子をぱくつきながら、二人のまきと陽一は互いに驚いて声も出ない。
「き、き、木島さん」
「なんだー、もー、びっくりしたー」
 二人ともジーンズに長袖のプルオーバーのラフな格好で、テーブルの一角に陣取っていた。
「びっくりしたー、じゃないよ。なにやってんだ、おやつ食いに来たのか?」
 2号は、必死で首を振って否定した。
「ち、違うんです。資材整理しようと思ってきたんですけど・・・」
「あまり多いから一休みしてかやろーって。ね」
「ね、じゃねえだろー、ったく。・・・ま、いいや」
 陽一もスナック菓子を摘みながら、飲み物を要求した。
「贅沢な部活だよな、しかし」
 とくに1号は満足そうに頷いた。
「他に今日は誰か来るのか?」
「・・・ええ、来ると思います」
「名前、なかったぞ二人の、ノートに」
「あたしたち裏門から入ったんですー」
「あー、それでか。・・・じゃ来ないうちにさっさと・・・」
 陽一は、冷蔵庫からフィルムを二本持ち出して、フィルム管理帳に記入した。
「誰だ、あんなにネガ買い込んだのは」
「あ、坂巻さんです。演劇部の稽古撮るんだ、って、あれからまた買いにいったみたいです」
「はりきってましたよー。まるで火に油」
 たぶん1号のその慣用句の使い方は間違っていると思うが、なんとなくわかったので陽一は何も言わないでおいた。
「あ、もし森山が来たら、俺、明日行けない、って言っといて」
「え、ええ、いいですけど・・・」
「木島さん、喧嘩してるんですかー、森山さんとー」
「・・・こらっ、それが『火に油』って言うのよっ」
「だってー・・・」
 フィルムの入った箱を放り上げながら、陽一はテーブルに腰掛けた。
「まあ、喧嘩って言えば喧嘩だけど、・・・意見の食い違いってとこかな」
「じゃあ、別に嫌いになったとか、そーゆーんじゃないんですねー?」
 陽一は、ジャグラーのようにフィルムを手玉にしながら、少し間を置いた。
「・・・お互いに、写真のこととなったら、譲らないところあるからな」
「嫌いじゃないんですね?」
「なんだよ、お前ら、・・・なんか、勘違いしてないか?、なあ」
 1号と2号は、互いに顔を見合わせて怪訝そうに首を傾げた。
「俺達別に付き合ってるわけじゃないんだし、好きとか嫌いとか・・・、そりゃ、嫌いじゃないけど、そういう意味じゃお前らも好きだし、タクヒロも、ヒロシも、坂巻も森山も、みんな好きだよ」
 1号が頬に手をあててはにかんだ。
「あんたが勘違いしてる場合じゃないでしょっ」
 陽一は、テーブルから飛び降りると、フィルムをワークジーンズのポケットに入れた。
「心配しなくても、それくらいで潰れる写真部じゃねえよ」
 陽一が出ていったあとも、ダブルまきは心配そうな顔のまま扉の方をずっと見ていた。
「・・・写真部の心配なんかしてないのに・・・」
「・・・二人のことが心配なのにー・・・」
 暗室の扉が開いたので、ダブルまきは姿勢を正すように向き直った。裏門から入ってきたのは、二人だけではなかった。

 機材のチェックを一通り済ませて、陽一は明日の用意を整えた。三脚がないが、取り立てて使うこともないだろうし、むしろ遊び半分の撮影だから、あとあと邪魔になるかもしれない。
 押し入れの奥のほうに、幼稚園のときのアルバムがあった。色褪せた写真の中に、里菜の姿は一目でわかった。ちょっとふっくらした顔で、楽しそうに笑っている。二人で手をつないでいる写真もあった。陽一は、照れくさそうにアルバムを閉じた。
「あたしも先刻見てたの。陽ちゃん全然変わってないね」
「そうか?」
 明るい声が、受話器から響いている。
「目許なんかそのまんまって感じ」
「里菜ちゃんだって、そんなに変わってないよ」
「どこが?」
 意地悪そうに語尾の上がった言い方に、誇ったような里菜の顔が浮かんできそうだった。
「・・・うーん、ま、いいや、明日ファインダー見ながらじっくり考えるよ」
「じゃ、十一時ね」
「そう。駅前広場の噴水の向かい側、手前じゃなくて、向かい側だからね」
「別に、持っていくものとか、ないわよね?」
「ないよ。里菜ちゃんさえ来てくれれば」
「ねえ、服とかは?」
「んー、なんでもいいけど、黒は避けて欲しいな」
「うん、わかった」
「あまりヘンな格好してくるなよ」
「ヘンって?」
「なんか・・・、結婚式の二次会みたいな、ドレス系とか・・・、普段着でいいんだからね。あ、こないだみたいなのでもいいな」
「要するに・・・、そのままデートできるようなのね」
 見透かされているような気がして、陽一は受話器を置いた。撮影は口実で、本心は二人だけでゆっくり話をする時間が欲しかったのだった。
 素直に、というか、あっさり乗ってくれた里菜も、もしかするとそれを望んでいるのかもしれないと、陽一は勝手に思っていた。

 携帯していた、子機が鳴った。
「はい、坂巻米穀店・・・お、森山か」
 玄太郎は脚立から下りて、紺の前掛けの股を割って頂上に腰掛けた。
「今、倉庫にいるんだ。急用でなけりゃ後で掛け直すけど」
 明日の撮影会の日程を告げて、電話は切れた。由布の声の調子はいつもと変わりなかったが、玄太郎は一段落ついてから掛け直した。
「どうした、なんか元気なさそうだけど」
 本当はそんなことは少しも感じなかったが、玄太郎は揺さぶりをかけた。
「・・・ううん、そんなことないよ。・・・ちょっと疲れたのかな・・・」
「明日の連絡は・・・」
「みんな取れた。大丈夫よ」
「木島は?、来るのか?」
 少し、間があった。
「・・・ううん、・・・来れないって」
「来れないのか?、来ないんじゃなくて」
「うん・・・」
 由布の言葉に意気がなくなってきた。
「なんで?」
「・・・知らない」
「訊いてないのか?」
 由布の返事はなかった。
「・・・ま、いい。フィルムは俺が人数分持ってるから、一応木島の分も持っていく」
「・・・うん・・・」
「やっぱ、元気ねえじゃねえか」
「あるよ。・・・じゃ、明日ね」
「来いよ。引きずってでも連れていくからな」
 何かが狂ってきているのを、玄太郎は感じていた。何だろう、どこだろう。玄太郎は、小さな受話器を置いた。

 週末の予定を、天気を気にせずに立てられるのは楽なものだ。メンバーが変わっただけの普段と変わらない鮨詰めの電車に揺られて、陽一が待ち合わせの場所に着いたのは十分前。
 もう一本遅らせると待ち合わせの時刻をオーバーしてしまうので、写真部の心得その二「人は待っても待たせるな」に従って、早めに着いたが仕方がない。
 いつものフル装備時のジュラルミンケースではなく、肩から提げているのは普通の布製のバッグ。父譲りのRTS・に、85mmと35mmレンズ、フィルムはカラーリバーサルISO50と100を一本ずつ。緊急用に、いつも予備のネガが一本入っているが、あくまでも緊急用である。
 時代に逆行しているわけでもないが、ピント合わせから露出から、総てマニュアル操作でしか撮影できない。大変そうだが、初めてカメラを触ったときからずっとこれなので、却ってオートのほうが陽一には難しい。
 能書きはどうであれ、要はいい写真を撮れれば一眼レフだろうがレンズ付きフィルムだろうがなんでも構わないのだ。
 駅前の、道路を渡った向こう側は公園になっていて、中央に比較的大きな噴水がある。公園を取り囲むようにロータリー道路があって、バスやタクシーが発着している。
 噴水の手前には、誰だが知らないが歴史上の人物らしい大きな銅像があって、そこはよく待ち合わせ場所に使われている。一見わかり安そうだが、後から行く者にとって、同じように誰かを待ってる人々がたくさんいるから非常に探しにくい。
 だから敢てそこを避けて、ベンチしかない向こう側を選んだわけだった。理屈どおり、ベンチに座っている里菜が手を振った。
「早いね」
「クラブの癖で、いつも早めに来ちゃうの」
「はは、同じだな」
 舗道の向こうに高く延びている時計を一瞥して、里菜は立ち上がった。
「どう、こんな感じで」
 両手を横に広げて、少し恥ずかしそうにしながらも里菜はくるっと回った。
「色がいいね、秋らしくて」
 ダークブラウンのタイトめのロングスカートに、真白なプルオーバー、ほんの少し赤みのあるライトベージュのカーディガンに、同系色のフラットシューズ、カチューシャで留めた髪は緩いウエーブで背中まで流れて、耳許には控えめなイヤリングが揺れている。
 上から下まで一通り眺めてから、陽一は眉間を摘むようにして目をつぶった。
「うーん・・・、よし」
「どうしたの?」
「いや、イメージをね、いろいろインスピレーションをまとめてたんだ。どこで撮るかも決めないと」
「え、まだ決めてないの?」
「そうだよ。里菜ちゃんに風景を合わせないと」
 里菜は、思慮深げに頷いた。
「じゃ、とりあえず、お茶しましょ。その間にどこ行くか決めて」
「OK、行き付けがあるんだ」
 里菜は、ベンチの上に置いてあった籐製のバスケットケースを抱えて、陽一の後をついていった。

 家族連れを横目にしながら、動物園の前でちょっと場違いな四人が屯している。みんなカメラバッグや三脚を肩から提げて、通りの先を待ち遠しそうに眺めている。
「遅いな、先生」
「ったく、顧問が足引っ張ってどーすんだよ」
「あ、来たよ」
「先生ー、遅いよー」
 隆広の言う通り、引率の顧問が遅れては話にならない。先生にもプライベートはあるんだろうけども。
「いやあ、すまんすまん。目覚ましが鳴らなくってさあ・・・」
「あー、あの髪の長い目覚ましね」
「うるせえっ」
 隆広に拳骨を食らわせてから、先生は人数を数えた。
「あれ、二年生は?」
「木島さん、やっぱり来れないそうです」
「あいつ・・・」
「あ、坂巻さん、電話しに行ってます」
「どこへ?」
「副部長んとこです」
「なんだ?、森山も来てないのか?」
「いつも一番先に来てるのにねー」
「いてて・・・あ、帰ってきた」
 神妙な顔つきで、玄太郎が帰ってきた。
「どうした、なんかあったか?」
「・・・わかりません。家はもう出たみたいで・・・」
「そうか、・・・じゃお前みんな連れて中に入ってろ。時間ももったいないし、俺がここで待ってる」
「すいません、じゃお願いします」
「あ、来たー」
 1号が指す方向に、いつもと変わらない笑顔で、しかし少しすまなそうに手を振って由布が歩いていた。
「森山ー、走れーっ」
 由布は、仕方ないといった表情で、抱えたカメラケースを押さえて走り始めた。
「いつも早いお前が遅いとみんな心配するぞ」
 膝に手をついて、由布は息を整えながら訳を話した。
「ごめんなさい・・・、電車の中に・・・、ケース忘れちゃって・・・」
 一斉にどよめきが起こった。
「あーあ」
「でも、見つかってよかったですね」
 ダブルまきに抱えられながら、由布は頷いた。
「よし、じゃ行くぞ」
「動物園一本勝負、始めーっ!」
 写真部ご一行様は、いざ動物園へ入った。

 公園は、当たり障りのないところでロケーションにはいいのだが、まだ紅葉には少し早く、木々は緑をふんだんに貯えていた。陽一は、どうしても暖色系の背景が欲しかった。
「そんなに真剣に考えなくても・・・」
「いや、いつでも全力を尽くすのが主義でね。でないと、被写体に申し訳ない」
 里菜は、自分を指差して、目配せで「あたし?」と訊いた。
「もちろん」
 陽一の真剣な眼差しが、里菜は嬉しかった。自分のためだけに他人が一生懸命になってくれるというのは、嬉しいものだ。
「!、あった!、あそこならいける」
 陽一が頭の中で思い出して足早に向かったのは、図書館や美術館などが立ち並ぶ一角だった。ここもちょっとした公園になっていて、石畳の舗道や煉瓦造りの建物があった。
「よし、この辺りにしよう」
「へえ、こんなところがあったなんて・・・」
「さ、モデルさん、まずはあの並木道から」
「はい、わかりました」
 面目躍如というのか、さすがは演劇部だけのことはあり、里菜は思い通りに動いてくれて、撮影は殊の外捗った。二本七十二枚のフィルムは、瞬く間になくなった。
「OK、お疲れさん」
「もう終わり?」
「フィルムなくなっちゃった」
「嘘、そんなに使ったの?」
 陽一は、カメラの裏蓋を開けてフィルムを取り出し、里菜に翳して見せた。
「今度さ、もっと本格的にやろうよ。メイクから服から、いろいろ」
「わあ、やりたい」
「なんとか調整してさ、考えとくよ」
「うん」
 里菜の眼の輝きを見て、陽一は嬉しくなった。予備のネガを使おうかと考えたが、あれはあくまで緊急用、そこは思い止まった。
「・・・ねえ、おなか空かない?」
「ん、そうだね、どっか食べに行こうか?」
 そう言う陽一を手振りで制して、里菜はベンチの上を指差した。
「サンドイッチでよかったら・・・」
「え、作ってきてくれてたの?」
 里菜は、下唇を噛んで嬉しそうに頷いた。
「うわあ、そういうのって嬉しいよなあ」
「食べよっ」
 追い抜こうとした陽一の二の腕を、里菜は掴んで引き寄せた。
「ねえ・・・」
「ん?」
「・・・これから、デートしない?」
「・・・昔みたいに?」
 里菜は、ゆっくりまばたきをしながら頷いた。
「・・・ままごとは勘弁してくれよ」
 陽一の背中を叩きながら、里菜は笑い転げた。

 休日の動物園、意外とカップルも多い。そんなことには目もくれず、写真部の動物園一本勝負は続いていた。
 一本勝負というのは、各自一本ずつフィルムが渡され、限られた枚数で同じロケーション下で、如何に自分の個性を表現して撮影をするか、一種の練習試合のようなものである。
 動物園だからといって、動物を撮るのは素人である。どこに着眼するか、何を主体に置くかで、同じロケーションでもいろんな写真が撮れる。あとでみんなで撮った写真を見比べて、ケンケンゴーゴーの楽しい批評会となる。特に一年生は、これが学園祭の個展作品となるので、入る気合いも半端じゃない。
「坂巻、お前えらく軽装だな。パチカメもなしか?」
 休憩所でアイスクリームを食べながら、先生は完全に休日気分でいた。
「ええ、ちょっと、みんなのを見てやろうと思って」
「じゃ、代わりに頼むわ。俺一寝入りすっから」
「はいはい」
 一応学外活動なので、呼ばないわけにはいかない。これでも何かトラブルがあったときには、全責任が先生のところにいくのだから。心行くまで休ませてあげようと玄太郎は思った。いろいろプライベートもややこしいらしいし。
 まさに行楽日和の空が広がっている。暑くもなく、寒くもなく、先生でなくても芝生の上かどこかでゆっくり寝ころびたい気分だった。
「なに、やってんだばか」
 隆広が、木の陰からカップルの姿を狙っていた。
「いてて・・・、あ、坂巻さん」
「そんな長いのつけて何撮ってんだよ」
 腕の長さほどと言ったら言い過ぎだが、それくらい長いレンズが隆広の持っているカメラについていた。
「ミニスカっすよ、ミニスカ」
 躍起になっている隆広の視線の先、柵に掴まって背伸びしている女の子、確かにもう少しである。
「真面目にやれ!」
 今日二発目の拳骨が、隆広の脳天に炸裂した。
「痛てーっ・・・、息抜きなのに・・・」
「抜いてばっかりじゃねえか、おめーは。ちゃんとやれよ」
 気のない返事を聞きながら、玄太郎はその場を離れた。
 サイ獣舎の陰に、場違いな人影が見えたので近寄ってみると、案の定だった。
「あー、坂巻さーん」
「やっぱ1号か。何撮ってんだ?」
「あたしですかー?、飼育係さんを撮ってみよーかなーって」
「お、1号にしちゃなかなかじゃねえか、頑張れよ」
「はーい」
 と思ったのも束の間、獣舎から出てきた飼育係は、背の高い細面の好青年。
「・・・やっぱり・・・」
 眼をきらきらさせて、1号はシャッターを切っている。
「ただでは転ばん奴だと思っていたが・・・」
 かぶりを振りながら、玄太郎は歩きだした。
「ロクなのがいねえな、今年は・・・」
 ライオンの檻の前で、浩がカメラを構えたままじっと睨み合いをしている。
「ストレートだな、ヒロシ」
「・・・ええ、・・・敢て、撮ってみようと、思うんです・・・。動物を・・・」
 浩は、玄太郎の方を向きもせず、じっとライオンを睨み付けたままシャッターチャンスを待っている。
「正統路線でいくんだな?、頑張れよ」
「はいっ」
 当のライオンは、隅でじっと寝ている。身じろぎもしない。玄太郎は、浩がちゃんと三十六枚撮りきれるか心配だった。
「大丈夫かな、あいつ・・・」
 ヤギやウサギなどが放し飼いにされている一角に、2号はいた。
「2号は、客がターゲットか?」
「ええ、やっぱり休みですから、家族連れが多いみたいで」
 ウサギを追いかけて走り回る子供を、2号のカメラも追いかけていた。
「あれ、2号、やっと買ったな、一眼レフ」
 唯一、写真部員でカメラを所有していなかった2号だが、最新のEOS-00(ダブルゼロ)を手にしていた。
「あ、これ、森山さんのです。貸してあげるって言われたんで・・・」
「なんだって?」
 玄太郎は、そう広くない園内を一回りしてみたが、由布の姿はなかった。
「帰ったんじゃねえだろうな・・・」
 夜行性動物舎というのが、玄太郎の目の前にあった。いるとすれば、あとは建物の中だ。
 足元を照らす廊下の照明以外なく、玄太郎は暗室を思い浮かべた。昼間暗いということは、外が夜になればここは明るくなるということか。まさかずっと真っ暗なわけはあるまい。動きっぱなしでは動物達も疲れるだろうに。
「・・・ふうっ、世話かけさせやがるぜ・・・」
 スローロリスという原猿類のところで、由布は柵に身体をもたせかけていた。
「何やってんだよ」
「あ、坂巻君・・・」
 玄太郎を一瞥すると、由布はまたガラスの向こうに眼を遣った。
「・・・かわいいの、これ」
 顔の半分くらいあるような丸く大きな眼で、脅えたように木を上り下りしている。
「2号に、カメラ貸したのか?」
「うん、・・・いつまでも“写るんです”じゃかわいそうでしょ」
「そりゃそうだけど・・・」
 じっとガラスの向こうを見つめたまま、由布は身じろぎ一つしない。
「・・・動物園、久しぶりなの。・・・だから、ゆっくり見て回ろうと思って・・・」
 玄太郎は、仕方ないというように大きく息を吐いて、由布の肩を叩いた。
「先輩としての仕事もしろよ・・・」
 元来た道を、玄太郎は帰っていった。
「・・・わかってるわよ・・・」
 由布は、贋の夜の中を出口に向かって進んでいった。

 つくづく早過ぎたなと、陽一は思った。
 川縁の舗道沿いには、碧緑の銀杏並木が延々と立ち並んでいる。傾いた日差しを背に受けながら、里菜も残念そうに天を仰いだ。
「・・・また、そのときに来ましょうよ」
 陽一は何気に頷いたが、その台詞に意味深いものを感じずにはいられなかった。
「あ、ブランコ」
 言うが早いか、里菜は小走りに駆け寄ると楽しそうに漕ぎ始めた。陽一は、しょうがないといった笑みを浮かべて、隣に乗った。
 小さな公園には、砂場や動物の木馬があった。錆びた鎖が擦れ合う音を懐かしむように、里菜は目をつぶった。
「よく遊んだね、角の公園で」
「・・・そうね」
 前へ後ろへ、擦れ違う度に風が薫る。
「・・・ねえ、・・・一つ訊いていい?」
 やがて静かに、ブランコは止まった。
「何?」
「・・・陽ちゃん、最近泣いたのいつ?」
 突拍子もない質問に陽一は笑いだしかけたが、里菜の真摯な眼差しを見て、下を向いてこらえた。
「ん・・・、そうだな・・・、こないだのワールドカップで、同点に追い付かれたときかな」
 里菜は、鎖を掴んでいる手を頬に当てて陽一を見つめた。
「泣いた?」
「泣いたね、もう涙ぼろぼろ」
 少し小馬鹿にしたように微笑むと、里菜はうつ向いた。
「・・・あたしね、・・・泣くのが下手なの。ほら、お芝居やってると、泣くシーンとかあるでしょ?。舞台だから涙を流すことはないけど、それでも下手なの」
 陽一は、鎖を抱え込むようにして、手を組んだ。
「これでも一応役者だから、そういうのって困るんだけど・・・、こないだね、それが何故かわかったの・・・」
 続く言葉を、陽一は待った。里菜はずっとうつ向いたまま、肩にかかった髪に隠れて表情もわからない。
「・・・どうしてなんだ?」
 せかしているようで嫌だったが、陽一は急に沈黙が怖くなっていた。
「・・・引っ越しの時、憶えてるでしょ?」
「ああ、・・・泣かなかったな、あの時も」
「・・・トラックの窓から、ずっと笑って手を振ってたけど・・・、車が角を曲がって、陽ちゃんが見えなくなった途端に、・・・涙が出てきたの」
 行きずりの雲に隠れていた夕日が、里菜の横顔を眩しくさせた。
「・・・泣きたくなかったんだけど、車の中でずっと泣いてた。・・・新しいおうちに着いても、新しいベッドに寝ても、・・・あたしずっと泣いてた」
「・・・そうか、・・・そうだったんだ」
「・・・そうなの」
 里菜が、精一杯微笑んで振り向いた。
「・・・でも、芝居のことと、どう関係あるんだ?」
 鎖から手を放し、里菜はブランコを下りた。
「・・・だって、・・・もう泣くの嫌なんだもん」
 長く伸びた影が、陽一の足元まで来ていた。

 いつになく心配そうな顔で、由布の母は裏口に出てきた。
「お帰り、遅かったね」
「ん、・・・みんなでごはん食べに行ってたの」
「先生も?」
「そうよ」
 台所の時計は、十時を少し回っていた。
「・・・お父さんは?」
「もう寝たわ。お風呂入ってしまいなさい」
「うん・・・」
 荷物を抱え上げて、由布は部屋に上がった。
 父と喧嘩したのは、恐らく今日が初めてだっただろう。やたら陽一の事を気に掛ける父が、なぜか煩わしかった。
 よく考えてみれば、それは今日に始まったことではなかった。父はまるで自分の事のように、写真については陽一に協力していた。それだけ陽一の撮った写真が、父の心を動かしたのだろうか。
 母に嘘をついてまで、由布は一人になっていろいろ考えたが、考えれば考えるほど悲しくなるばかりだった。
 バスルームまで我慢しようと思っていたが、それは叶わなかった。母が呼びに来るまで、溢れる涙はそのままにした。

 いつもより、しかも月曜日なのに早く家を出た玄太郎を、商店街の誰もが訝しげに声をかけた。その度に、得意の営業スマイルで応える玄太郎ではあったが、駅に着くまでにもう朝食分のエネルギーを消費したような気がしていた。
 放課後までに、いや昼休みまでに、いやなるべく早いうちに、陽一に会って付けなければいけない話があった。
 駅の出口から、学校まで、制服の列が道をつくっている。改札口を見渡せるところから、玄太郎はその列を見ながら陽一を探して立っていた。
 これだけ同じ格好をしている中から、いくら付き合いが長いとはいえ、そう簡単に見つかるのだろうか。玄太郎は不安だった。
「・・・?、なんじゃ?」
 そういうのを取り越し苦労というのだろう、陽一はすぐに見つかった。玄太郎の目の前を、しかも、カメラバッグとバスケットケースを持って。
「あれ?、何してんの?」
「何してんの、じゃねえよ。お前は何持ってんだよ」
「い、いや、これは、いろいろと・・・」
 とりあえず二人は、列に紛れて歩きだした。
「どこ行ってたんだ、昨日」
「・・・これ」
 陽一は、バスケットケースを持ち上げた。
「あの、幼なじみの里菜ちゃんか?」
「久しぶりだったから、・・・話がしたかったんだ。これからお互い忙しくなるし、写真を撮って欲しいって言ってもきたし、ウォーミングアップも兼ねて、いいかなって・・・」
 玄太郎は、黙ったまま前を向いた。
「・・・お前こそ、何してたんだ、あんなとこで」
「ああ、それなんだが、どうしても早く言いたいことがあってな」
「何だよ」
「いや、別に、そんな大したことじゃないんだけど、・・・演劇部の撮影、やっぱお前がやれよ」
「え?、おいおい、いいのか、あんなに張り切ってたのに」
 自嘲するように鼻で笑うと、玄太郎は陽一の持っているカメラバッグを顎で指した。
「ちょうどいいじゃねえか、カメラも持ってきてることだし」
「あ、ああ、・・・お前がそう言うんなら、そうするよ」
「よくよく考えたら、そんなことしてる場合じゃないんだよな。一応部長だし、やること一杯あるし」
「・・・なんか俺が暇みたいな言い方だな、おい」
「違うのか?」
 両手が塞がっていなければ、と陽一は悔しがった。
「森山は、今日から撮るって言ってたから、ちゃんと二人で打ち合わせしろよ。じゃな」
 玄太郎はそう言い捨てると、逃げるように走っていった。
 学校に着くまでいて欲しかったなと、陽一は周りの視線が気になりだした。バスケットの把手に巻き付けてある、赤いスカーフが先刻から揺れていた。

 朝の挨拶をかわした里菜は、いつもと変わりがなかった。由布も、いつものように振る舞った。振る舞わなければならないというのが、由布は歯痒かった。
「どうしたの?、なんか元気ないみたいだけど」
 由布自身はいつもと変わらないつもりだったが、やはりどこか顔に出ているのだろうか。由布は思わず頬をさすった。
「ん・・・、疲れたのかな。昨日撮影会があったから・・・」
「撮影会って、写真部の?」
「そうだけど・・・」
 やけに里菜が驚いたような表情をしている。
「どうかした?」
「ううん、別に・・・、あ、稽古の撮影、よろしくね。準備ができたら、部室まで来て」
 里菜は、昨日の事を話さなかった。隠すつもりではなかったが、話さなかったのなら同じことだと思った。
 話したとしても、どこも後ろめたくないはずだった。由布と陽一の仲がよさそうなのは、里菜にもわかった。だからこそ、ストレートにあんな質問をぶつけたのだった。
 あの時の由布の答えが、心にもないものだったとしても、今更引き下がる気は里菜にはなかった。

 早く返しにいけばよかったが、里菜は由布と同じクラス、なんだか面倒臭いことが起こりそうなので、陽一は放課後まで待った。クラスメイトの質問をかわすのにどれだけ苦労したことか。
 六時限目終了のチャイム、今日から学園祭へ向けての活動が、本格的に開始される。授業時間枠も特別に編成され、三十分放課後が繰り上がる。
 意気込む者、だるそうに顔を歪ませる者、あちこち奔走する者、しばらくは学園内も騒々しいほどに賑やかになる。
 仰々しい荷物を抱えて教室を出たとき、昨日憶えた笑顔がクラスメイト達の隙間から見えた。
「ごめんっ」
 片目をつぶって、申し訳なさそうに手を合わせて謝る里菜に、陽一はようやくバスケットを渡した。
「ごめんね」
「いいよいいよ、俺なんかコインロッカーに入れたことすら忘れてたんだから」
 昨日を思い出すかのように、里菜は両手に提げたバスケットを見つめた。
「あ、それでさ、撮影なんだけど、なんか、また俺が入ることになって・・・」
「ほんと!?」
 他の生徒も振り向くような里菜のリアクションに、陽一は少し驚いた。目を輝かせて、本当に嬉しそうにしている。
「じゃ、待ってるから、あとで・・・、あ、迎えに行くから部室で待ってて」
 他に言うこともあったのだが、里菜は踵を返して足取りも軽く行ってしまった。
 そんなに玄太郎が嫌だったのだろうか。
「へっくしょいっ!」
 悪態をつきながら、2-Dの教室前の廊下で玄太郎は鼻を擦った。
「・・・木島にはもう言ってあるから」
「言ってあるからって・・・」
 由布は、帚を持った手を握り締めた。
「他にすることいっぱいあるのにさ、なおんねえなこの癖は。ま、なおんねえから癖なんだろうけど」
 何か言いたそうに何度も唇を噛みしめながらも、由布は黙ったままだった。
「じゃ、あとでな。昨日の現像、俺も手伝わねえと」
 玄太郎は小走りに階段を下りていった。

「ねー、2号ー、休憩しよーよー」
「先刻したでしょ?、休んでばっかり」
「だってー、白黒反対だから気持ち悪いよー」
「カラーならもっと目が痛いわよ」
 部室のテーブルに山積みにされたネガ袋を見れば、1号の言うことも無理はない。しかしよくもまあ半年でこれだけ撮ったものだ。写真部の活動も、今日から本格始動している。
「今日で全部するわけじゃないんだから、少しずつ整理してけばいいのよ」
「まだ四月分こんなにあるよー、もーやだー」
 すっかりふてくされてしまった1号に、2号も仕方なく手を休めた。
「あたしもやめた。もう目が死にそう」
「・・・俺も、もうだめ」
 ふらふらと隆広が暗室から出てきた。
「だいじょーぶー?」
 1号に肩を支えられながら、隆広は椅子に座った。
「・・・二人作業はきついぜ。暑いのなんのって」
 額の汗を腕で拭いながら、隆広は顔を歪めた。
「上谷君は、大丈夫なの?」
「あいつも苦しがってるけど、プリントし終わるまでは出ないってよ」
「それって、昨日の?」
「どうしても今日中に仕上げるんだってよ」
 吐き捨てるように隆広が言った。ダブルまきは、心配そうに暗室を見遣った。

 どうせ通り道なので、陽一は2-Dの教室を覗いた。中で、由布が一人黒板を拭いていた。
「ようっ」
 由布は、こちらを一瞥しただけで作業を続けた。
「一人か?」
「見ればわかるでしょ」
 確かに、教室には誰もいない。相変わらず無愛想な物の言い方だが、陽一は変に慣れてしまっていた。
「坂巻から訊いたか?」
「訊いた。・・・よかったね」
「別によくはないけど・・・」
 廊下の窓を開けて、窓枠に身体を突っ込んで陽一は中を覗いている。
「どうだった、昨日。あいつらちゃんとやってたか?」
「・・・気になるんなら来りゃいいでしょ」
「来れなかったから、・・・訊いてるんだろ」
 陽一は声を荒だてかけたが、抑えるよう努めた。そうでなくても一触即発なのに、これから一緒に仕事をしようという相手に突っ掛るわけにもいかない。
「・・・何してたの、昨日」
 陽一に背を向けたまま、由布はごく普通に訊いた。却ってそのことが、陽一の返答に間を取らせた。
 しかも、昨日の事を由布に言っていいものかどうか、更に間が延びた。由布は、その間を一番恐れていた。陽一がその後で何か言おうと言うまいと、答えは既に出ていた。
「・・・フォトコンテスト、頑張ってね。・・・あたしには、これくらいしか言えないけど」
 いつしか、由布は微笑みを浮かべていた。
「・・・いいのか、俺だけみんなと別で」
 黒板の端に書かれた、今日の日付と日直の自分の名前を消して、由布は黒板消しを置いた。
「・・・いつまでも、喧嘩してる場合じゃないでしょ。・・・その代わり、絶対に入賞すること。いい?」
 袖に着いたチョークの粉を、由布は顰め面で軽く叩いた。
「・・・わかった。頑張るよ、みんなのためにも」
 由布は、安心したようににっこりと頷いた。
「さあ、そうと決まったら、あたしの仕事手伝ってもらうわよ」
「部室で準備しててくれってさ。あとで迎えに来るって・・・」
「言ってたの?」
 しまった、という顔を陽一は隠そうとしたが、遅かった。
「・・・先刻、うちのクラスまで、来てくれて・・・」
「あ、そお・・・」
 由布の訝しげな視線が、陽一に注がれた。
「もう一度訊くけど、昨日はどこ行ってたの」
 陽一は、観念したように大きな溜息をついた。
「・・・ちょっと、里菜ちゃんと撮影を、ね」
「ね、じゃないわよ。手が早いんだから」
「撮ってほしいって、言われたからさ・・・」
 窓枠にもたれながら、陽一はばつが悪そうに頭を掻いている。
「隠すようなことじゃないでしょ、悪いことしてるわけじゃなし、・・・別にあたし達恋人同士でもないんだから・・・」
 由布は、じっと陽一を見つめた。そうは言ったものの、本当は肯定も否定もして欲しくなかった。軽々しい同意なら、尚更いらなかった。
「・・・さ、部室いこう。もう済んだろ?」
「・・・うん」
 答えを濁した陽一が、由布には嬉しかった。はっきりさせたい気持ちもあるし、曖昧でいたい気持ちもある。今は、曖昧なままでいいと由布は思った。

「坂巻さん、できましたよ」
 浩が指し示すとおり、テーブルの上には昨日の写真が並べられていた。部室に戻った玄太郎は、感嘆の声を上げた。
「もうできたのか?、いくら“モノクロのヒロシ”でも早すぎねえか?」
「あたしたちのクラス、六時限目休講だったんですー」
「それでか、なるほどな。どれどれ」
 白黒の写真が、それぞれ撮影者ごとに並べられている。玄太郎は、順番に一人ずつ観ていった。
「これ誰だ、1号だったか?」
「あ、はい、そーですー」
 玄太郎がまず示したのは、1号の撮った飼育係の写真だった。
「・・・いいな、これ」
 1号は、飛び上がらんばかりに喜んだ。
「えーっ!、ほんとですかー!」
「あー、こら、待て待て」
 玄太郎は、2号と手を取って喜び合う1号を制した。
「いいことはいいが、技術的にはまだまだ未熟だ」
 途端に1号はしゅんとなった。
「・・・未熟なんだが・・・、うん、いいよ、これ」
 今度は控えめに小さく喜ぶ1号だった。
「・・・こっちは、誰んだ?・・・タクヒロのか?、まさかな」
「いや、坂巻さん、まさかじゃないっすよ、俺のっす」
「え!?、ほんとかよおい」
 ほとんど全部といっていいほど、カップルばかりの写真だが、二人の楽しそうな雰囲気が微笑ましいまでに捉えられている。
「やればできるじゃねえか、タクヒロよ」
「・・・はあ、ごっつぁんっす」
 柄にもなく、どこか隆広は恥ずかしそうだった。
「・・・2号、・・・期待してたんだけどな・・・、今回は、もう一つかな」
「あの、・・・どの辺りが・・・」
 2号は、恐る恐る問い掛けた。
「ん?、あとでまとめて言うよ」
 玄太郎の明るい表情に、2号は胸を撫で下ろした。
「さ、現像はがんばったんだが、ヒロシ、こっちは全然だな」
 浩は、力を使い果たしたのか、並べた椅子に寝転んだまま、手だけ真っすぐ挙げた。
「・・・はい、ですから、現像頑張らせていただきました」
「うむ、よい心掛けだ。また今度だな」
 テーブルの上に、浩の写真はほとんどなかった。玄太郎の心配が的中したようだった。
「まあ、俺がどうこう言ったのはどっか置いといて、個展には自分の気に入ったやつを出すように」
 2号の不安そうな顔をちらりと見て、玄太郎は言葉を続けた。
「さて総評だが、正直いって、1号とタクヒロがあんな写真を撮れるとは、思ってなかった。謝る、すまん」
 二人とも、揃って恐縮してただ苦笑いを浮かべていた。
「現場では、二人とも被写体となる対象が独り善がりだったので、不安があったのは確かだ。しかし、いざ上がってみれば、とてもいい作品になっていた。何故か。決してこれは、偶然とか、怪我の功名とかじゃなく、二人の持っている力とみて、差しつかえないと思う」
 玄太郎は、1号の撮った写真を摘みあげた。
「写真で大切なことの一つに、“被写体に対する思い入れ”がある。何でもない風景や人物を、ファインダーの中に収めて、フレームで切り取ることによって、意味を含ませ、メッセージを託し、感動を散りばめて、作品にしていく。
 1号は、かっこいい飼育係、タクヒロは、かわいい女の子がいるカップル、それぞれ、実に動機は不純だが、その分被写体に対する思い入れが強くなって、結果的にはいい作品ができた。
 大抵は、いい写真を撮ろうと思えば思うほど、雑念が増えて大事なことを忘れてしまうものだ。スポーツでもそう、いい結果を出そうと思うよりも、全力を出しきること。ちょっと理屈っぽくなったが、要は自分の撮りたい写真を撮ることだ」
 いつの間にか、浩も起き上がって話を聴いていた。みんなそれぞれに思いを巡らせながら、玄太郎の話に相槌を打っていた。
「よーし、じゃ写真そのままにして、森山や木島や、先生にも観てもらえ」
 誰かが来るまで写真を囲んで、四人の一年生のケンケンゴーゴーな批評会が始まった。
「・・・部長してるなあ・・・」
 お菓子を食べながら、玄太郎は満足そうに呟いた。

 傾いた太陽は山の影に隠れて、街が煌めき始めていた。まだ薄明るい空に、街路樹の影が揺れていた。間近に控えた衣替えに合わせるかのように、吹き抜ける風は少しひんやりしていた。
「三人で帰るのって、久しぶりね」
 玄太郎と陽一に挟まれた由布が、二人を交互に見ながら言った。
 両脇が女性なら、両手に花というが、この場合はなんて言うんだろうと思ったのは玄太郎だった。
 ふくれていつも先に帰ってたのは誰だよ、と悪態をついたのは陽一だった。
「早く終わったんだな、演劇部のほう」
「まだ、本読みとかそんな段階なんでね、あまり撮るものもないし、ま、顔見せ程度かな」
「そうね、そんな感じね」
 陽一の顔を、由布は横目で見た。
「なんだよ、何か言いたそうだな、その顔」
「別に、なんでもないわよ」
「もう、おまえらいい加減にしろ、顔突き合わせりゃ喧嘩ばかりしやがって」
 そう言ってはみたものの、薄笑いを浮かべている二人をみて、玄太郎も少し安心した。
 交差点に差しかかると、信号が赤になった。
「いつまで話し合ってるのかな」
「あいつらか?、ま、いいじゃねえか」
「しかし、タクヒロはともかく、1号にあんな素養があったとはな」
「里菜ちゃんも褒めてたわね、いい感じだって」
 一応、陽一は由布を睨みつけた。
「偶然にしろなんにしろ、素直に俺はいいな、って思ったんだからな。素養があるとみていいんだろうな」
「タクヒロは、いずれ頭角をあらわしてくるなって思ってたよ。ナンパなりにね」
「前にね、あたしの父が木島君の写真みて、似たようなこと言ってた。思いやりのある写真だ、って」
「それ、どの写真?」
「んー、忘れた」
 信号が変わった。みんな横一列に並んで、一斉に歩きだす。
「・・・俺達もうかうかしてられねえな」
「全くだ」
「そうよ、特に木島君には頑張ってもらわないと。・・・約束したんだから」
「・・・したのか?」
 由布の後ろを回り込んで、玄太郎が陽一に訊いた。
「・・・さあ」
 由布の両肘が、二人の脇腹に炸裂した。
「うえっ」
「げほっ」
 まさか交差点の真ん中でうずくまるわけにもいかず、横断歩道を渡りきるやいなや、二人は脇腹を押さえて座り込んだ。
「・・・元気になったな、森山」
「そういつまでも塞ぎ込んでられませんよーだ」
「・・・なんだ、何かあったのか?」
 顔を歪めながら陽一が訊くと、玄太郎はそれ以上に顔を歪めた。
「お前だろーが!」
 どこまでも鈍い陽一に、玄太郎もいずれは愛想を尽かす日がくるのだろうか。玄太郎は、心の中でかぶりを振った。
「ねえ、写真撮ろうよ」
 二三歩前に出たかと思うと、急に振り返った由布は楽しそうにそう言った。
「あたしたちって、人の撮るばっかりで、自分達の写真って撮ったことないんじゃない?」
「ん、そう言えば・・・」
「ないな」
「坂巻君、カメラある?」
 いつもの仕草で、ポケットをまさぐる玄太郎の顔色が急変した。
「・・・あ、ない。忘れた」
「いつも持ってるじゃない」
「今日、早く家出てきたから、しまった、すっかり忘れてた」
「木島君は?」
 陽一は、持っているバッグを掲げた。
「あるけど、フィルムねえよ」
「あるじゃない、予備が」
「ばか、これは緊急用なんだよ」
「だから今が緊急なの。さ、早く」
 渋る陽一を、由布はせかしたてた。
「わかったよ」
 玄太郎が、まだポケットを探しながら怪訝そうな顔をしている。
「撮りたい写真を撮るんでしょ、部長?」
 玄太郎は、言い返す言葉もなく、肩をすくめて苦笑した。
「よし、じゃ一人ずつ撮ろう。誰からだ?」
「あたしあたし」
 手を挙げて陽一の前に出てきた由布を、陽一はファインダーの中に収めた。邪魔してフレームに入ろうとする玄太郎を、必死で向こうへ追いやっている。
「なにいつまでじゃれてんだ、ストロボ持ってないんだから、早くしないと陽が暮れるぞ」
 玄太郎のにやついた顔が、フレームの外に出た。由布は、玄太郎を一度睨みつけてから、気を取り直して姿勢を正した。
 由布が言ったとおり、ファインダー越しに彼女の姿を見るのは初めてだった。ファインダーの中の由布は、じっとこちらを見つめている。ピントはもう合っていたが、陽一はしばらくそのままでいた。
「ねえ、何待ち?」
 焦れたように由布が呼びかけた。
「・・・ん、充電待ち」
 一度は納得した由布の顔が怒りに変わった。
「ストロボないじゃないよっ!」
 なだめるように手を振ると、陽一は露出とシャッタースピードを合わせた。
 こいつらなら、ファインダーなんかなくても、たっぷり思い入れのある写真が撮れそうだと、陽一は思った。
「早くしてよっ」
 玄太郎を時々牽制するように一瞥しながら、由布がせかしてきた。
「よし、撮るぞ」
 見慣れているはずの由布の笑顔に、心が躍りそうになりながら、陽一は息をとめた。
 この瞬間を、永遠にして。
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